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In the Beginning
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1971年に、まさに「あの」Hound Dog Taylor を録音してリリースしたいがために生まれた Alligator。
わたしにとっては過去から現在にいたるまでを眺めてみても、Chicago における最も重要なレーベルは Chess や Delmark ではなく、この Alligator です。
なぜなら、そこには(もちろん商売である以上、経済的な側面は無視できないにしても)「音楽に対する情熱」を一番強く感じるから。
そして所属するアーティストに対する「深い愛情と理解」を感じるから。
1947年、Ohio 州 Cincinnati に生まれた(と Alligator の HP その他の主なサイトでは紹介されているけど、なんでか allmusic では Jul.10, 1947 in Ann Arbor, Michiganとなってるのよねー、さすが allmusic?! )白人、Bruce Iglauer がブルースに目覚めたのは 1966年とされています(ワタシより 2年早い!)。
Mississippi Fred McDowell(そう言えば当 BLUES DIARY ではただの一度として採り上げていませんでしたねえ。)の演奏に触れて、大きな感銘を受けたようで・・・
ま、Fred McDowellをそー片付けちゃうと、あちこちから非難が殺到しそうですが、ワタシがストーンズからいきなり Albert King に飛び込んで、れっきとした(?)エレクトリック・ブルースを全身に被爆したのに対し、ちょうど対照的な(ワタクシに言わせれば、ね)「フォーク・ブルース」から入った、というのが面白いところです。
もっとも、そんな彼でしたが、後にはフォーク・ブルースなどとは「もの凄〜く」隔たった(?)ワイルドでダーティ、パワフルでときには卑猥、ある意味、轟音系(あ、McDowell の音からするとね)の Hound Dog Taylor によって「人生を変えられちゃう」んですから面白いものですよね。
その 1966年当時の彼は、まだ Wisconsin 州 Appleton*の Lawrence University の学生でしたが、ただザンネンなことに、今のところ、それまでの彼がどのような生活を送り、音楽的にはどのような環境で育ってきたのか、を示唆するような資料には一切、出会っておりません。
* ─ Appleton, Wisconsin ; あの Paramount Records の Grafton や Port Washington からは、およそ 11時の方向に 100km ほどのところにある街。
その街なかを Fox River が流れていることから、生活環境も良かったようで 1848年に最初の入植者が入り、さらに 1853年には「村落」となり、1857年には City となっています。
19世紀末にはすでに人口が 1万人を超え、第二次世界大戦の終了後には 3 万人に達しています。2005年の国勢調査によれば人口は 7 万人を超えていますから、そこそこ順調に発展してきた、と言えるでしょう。そして、それを支えたのが Fox River を利用しての水力発電と、Amos Adams Lawrence( born in Boston, Massachusetts, 1814-1886. John Brown の奴隷制度廃止論を経済的に支援し、後に University of Kansas の設立の際に融資を行っている)によって創設された Lawrence University で、現在も Lawrense University はほぼ町の中心部、Fox River の北岸にあります。
ブルースに「目覚めた」彼は College Radio Station に働きかけて、ブルースを採り上げるようにし、さらに自身はシカゴのブルース・シーンに飛び込んで、当時のナマのブルースを全身で浴びることとなります。
マディを始め、あの Magic Sam(もちろんホンモノでっせ〜!あの iTunes でダマそうとしてる Westside Guitar Wizard やら the Final Session なんて、いかにも「ヒョっとしてマボロシの音源を発掘!か?」なんてえ実に悪質な詐欺まがいの偽マジック・サムことロン・トンプソンじゃおまへん!)に Otis Rush、そして Carey Bell などをナマで聴いてるんですから、実に羨ましい!!
ま、それはいいのですが、College Radio Station の活動が実を結び(?)大学の Activities Committee(学内活動委員会、とでも訳すものか?)が学内で Howlin' Wolf のライヴを計画した際に、その有無を言わせない独善的な実行ぶり、特にまったく不充分なプロモーションに大いに失望することとなりました。
そこで彼はそのような組織に頼らず、彼自身のポケットマネーで Luther Allison を招聘し、見事にそのライヴではチケットを Sold Out に導き、ちゃんと「理解している人間が、熱意を持って事に当たれば、確実に手応えは得られる」ことを証明したのです。
このときの Luther Allison のライヴによって Bruce Iglauer を認めたのが Delmark の Bob Koester で、彼を雇い入れることにしたのでした。
最初のポジションは、週給 30ドルの製品発送の部署で、これが 1970年のことです。
念願かなってシカゴの住民となった彼は、夜毎にウェストサイドやサウスサイドのブルース・クラブに現れる生活を送ることになりました。
さらに Bob Koester とともにスタジオで Junior Wells などの録音にも立ち会っていたそうですが、そのような機会を通じて、彼自身でもブルースのレコードを作ってみたい、という意欲が湧いてきたもののようです。
その彼が僅か 2500ドルの開業資金でアパートの一室で自らのレーベル、今でこそブルースのファンだったら知らないひとはおそらくいないと思われる Alligator を設立したのが 1971年、とされていますから、Delmark にはほぼ一年くらいしかいなかったのでしょうね。
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1971
Release the Hound!
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1970年に Chicagoで Delmark Records に職を得た Bruce Iglauer は、ブルース・クラブ巡りをするうち、サウスサイドの Florence's Lounge で Hound Dog Taylor を見て「電撃」を受ける・・・となるとドラマチックでよろしいのですが、実際には Bruce Iglauer がまだ大学に在学中と思われる 1969年に、Chicago に通いつめていたおかげ(?)で、すでに Hound Dog Taylor その人の演奏には触れているんですね。
ただし、その時は Brewer Phillips に Ted Harvey という the HouseRockers と一緒にではなかったせいか、Bruce は「たいしたミュージシャンではない」と判断していたそうです。
それが、翌年の 2月に Florence's Lounge で初めて the HouseRockers としてのステージを見て、その魅力を見直したのでしょう。しばらくは Delmark のボス、Bob Koester に彼らをレコーディングするように、と口説いていた、とされますが、ついには、それでは自分でレコード化しよう、と考えたようです。
1971年の春、二晩(そ、まだみなさん Day Job をお持ちですからね。スタジオ入りは「夜だけ」なのです)連続で Chicago の Sound Studios を使って録音が行われ(その部分ではおそらく Delmark の Bob Koester のなんらかの助力があったのではないでしょうか?ジャケットには Very special thanks to... として彼の名前が「ちゃんと」記されています)、それが Alligator の記念すべき一枚目のアルバム、AL-4701、Hound Dog Taylor and the HouseRockersとなりました。
このときレコーディングに使ったボロボロのギターアンプは、どうやら Florence's Lounge で彼らが使っていた(おそらく店の備品じゃなかったか?と思うのですが、確認は出来ておりません) Sears Loeback に OEM されていた Silvertone 製で、ALTEC の 10 インチ・スピーカー 6 発、というものだったようです。
レコーディングはシンプルな 2 トラックのステレオ・テープレコーダーにダイレクトに録音され、当然、オーヴァー・ダブや後処理も行われていません。
この時の録音には 900 ドルを要した、とされています。
ところで、そのブランド・ネーム Alligator ってのがどこから来たのか、という点ですが、とあるサイトでは、Bruce Iglauer がお気に入りのリズムを取るときに歯をカチカチ言わせていたから、というのが載っておりました。
ザンネンながら、ワタクシ、Alligator ってヤツの実物をじっくりと観察したことがございませんので、ホンモノも歯をカチカチさせるのかどうか定かではないのですが、もしかすると、漫画チックな揶揄から来たニックネームとして言われていたのかもしれませんね。
初回プレスは僅か 1,000 枚。
それを自分のクルマ Chevy の後部座席に載せて Chicago から New York にいたるロック専門局や大学があればその College Radio Station に AL-4701Hound Dog Taylor and the HouseRockers を託し(もちろん、それがスグにオン・エアされる、と言うワケではなかったようですが)、その実績をバックに地域のレコードのディストリビューターの元に行き、「この地域のロック FM 放送局ですでに流されている」と告げ、そのアルバムを扱う気があるか?と持ちかけると、どこでも「売りましょう」と言ってくれたとか。ま、ウソじゃないですからねえ。
もちろん、この時点では Delmark での勤務と、自分のビジネスを両立させていたワケで、それでいて Hound Dog Taylor の面倒までみていたようですから、さすがに手に余るようになり、ついに独立することとなり、アパートの自室を「本社」として資本金 2,500 ドルで Alligator Records を設立しました。
当然その部屋は「製品」で溢れ梱包台が場所を取り、普段の生活を多少は不便にしたようですが、多くの弱小マイナー・レーベルが陥る「そのままフェード・アウト」ということにはなりませんでした。
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1972
Big Walter & Carey Bell
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彼がリリースした Hound Dog Taylor は「目覚ましい」セールスとまでは行かないまでも、着実に売れ続け、そこで得た利益を元に翌1972年には Alligator の第二作、AL-4702、Big Walter Horton with Carey Bell をリリースすることが出来ました。
もちろん、多大な融資が見込めない当時の状況では、リリースしたアルバムの売り上げが充分に溜まったところで次作に、という態勢ですから、まだ一年に一枚、というペースが精一杯だったようですね。
その AL-4702 ではギターに Eddie Taylor が入り、全体をグっと引き締めています。このアルバムも「爆発的」ではないものの着実に売れて、次の 1973年、AL4703、the Son Seals Blues Band へとつながって行ったのでした。
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1973
Who the Hell is that?
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この Son Seals については、彼が発掘した、と言うより、彼の友人で、ブルースマニアの Wesley Race に「教えられた」というエピソードがライナーには記されています。
ある晩、Chicago's Jazz Record Mart( Chicago's Jazz Record MartってBob Koester のお店です。今は、単にJazz Record Mart って呼ばれてます。・・・ by 江戸川スリム氏)の閉店間際、そろそろ帰ろうかな?という時に Bruce Iglauer に電話があり、出てみると Flamingo Club からで、Wesley Race がバックの轟音に負けないように怒鳴っている声が・・・「 Bruce!ちょっとこれを聴いてみてくれ!」そう言うと受話器のマイクをステージの方に向けると、そこで聞こえて来たのは、少なくとも Chicago のブルースマンはすべて知っている、と自負していた Bruce Iglauer でさえ初めて聞く新鮮な演奏だったのだそうです。
Bruce; Who the hell is that?(こ、こいつは誰だ?)
Wesley; That? That's Son Seals.(こいつかい? Son Seals ってヤツさ)
ただ、別な話として、Hound Dog Taylor が、次は誰を録音しようか?と迷っていた Bruce Iglauer に、かって自分のバックでドラムを叩いてくれてたこともある Son Seals をプッシュした、という説もありますので、そちらも併記しておくことにいたしましょ。
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1974
A.O.R.
Not Adult!
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1970年代と言うと Bob Grossweiner によれば、AOR、つまり Album Oriented Rock が主流となっていった時代、とされていますが、不思議なことに日本ではその「 AOR 」が「アダルト・オリエンテッド・ロック」ということになっており、「大人向けのロック」なんてことになってますねえ。
ワタシなんぞはネが短絡的なもんですから、
大人向けのロックだあ?
バカこくでねえ!てめえらみたいなつまらねえ大人になんかなりたかねえや!ってのがロックだろ!それがそいつらに「受ける」ロックだなんて媚を売る気か!
なんて毒づいてたもんですが、そう、Album Oriented Rock!それなら「判る」。
そろそろアルバム一枚をまるごと放送してくれる D.J. が出てきて、そうなるとミュージシャンも「まだ模索している線」や、「実はこんなとこもあるんだよオレ」みたいな作品を潜り込ませて反応を見たりすることが出来るようになった、ってあたりにその AOR の出現が帰せられるんでしょね。
・・・なんていきなり AOR なんぞの話になったってのも、本稿を起こすにあたって参照したなかに前述の Bob Gossweiner と Jane Cohen の共著になる Industry Profile: Bruce Iglauer があり、そこで Alligator の出発が、年代的にその AOR に放送界が席巻されつつあった時期に当たってしまった、という分析が載っていたからなのです。
なるほど、わたくしもこれまでなんだかんだ書き散らして来てますが、確かに主題はブルースとはいえ、周辺の音楽の動向というものが、必ず、なんらかの形で反映されているもんなんですよね。
ただ、主流は AOR であっても、それがこれまでのヒット・ソング一辺倒だった放送スタイルへの別な切り口の可能性の提案であったのと同様、もう少し視点を広げ、より根源的なものや、表面化はしないけれど大きく影響を与えているものにも目を向けよう、といった違った方向にも流れた、ということでしょうか、この時期あたりから、(黒人を対象とした局ではないのに)ブルースなども流す FMステーションが次第に増えており、それが Alligator の存在を次第に浸透させて行ったもののようです。
そのような「支え」があったからか、それまでは一年に一枚しか新しいアルバムをリリース出来なかった Alligator が 1974年には二枚のアルバムをリリースしています。
まずは、FM オン・エアのみならず、実際にブッキングまで手を貸して各地でのライヴ(クラブでの演奏ばかりではなく、北部一帯での、大学も含むフェスティヴァルに積極的に出演している) を行ったことでその名を知られて来た Hound Dog Taylor の二枚目、AL-4704、Natural Boogie、そう!あの See Me in the Evening や Sadie の入ったヤツ!それを送り出しました。
このアルバムではそれまで Alligator のジャケットの写真を担当してきた Peter Amft の名が消え、でももっと重要(?)なのは、これまで必ずあった Special thanks to とした Bob Koester のクレジットが「消えている」点かもしれません。かわりに「あの」Wesley Race などの名が挙げられています。
そして同じ 1974年に出されたのは、1967年に Palos 1200(シングル)Somebody Loan Me A Dime / I Believe をリリースしていながら、あのボズ・スキャッグスに「これはオレが作った曲だ」などと「盗まれた」ことで有名な Fenton Robinson で、もちろん、Somebody Loan Me A Dime を再録音しています(で、まったくカンケー無いエピソードで恐縮ですが、このアルバムでキーボードを担当した Bill Heid は最長ヒッチハイク距離のギネス認定世界記録保持者なんだそうな・・・なんだそりゃ?)。
この Fenton Robinson のアルバムが日本ではかなり人気が出て、そっから日本公演の話がスタートし、それがあんなオチになるとは・・・
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1975
Koko Taylor
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1970年代の前半、Alligator はその所属ミュージシャンのライヴを積極的に組み、「彼らの」Recording Artists の浸透に努めました。
この時期、Alligator が手がけたライヴは年間 150 以上もあった、と言われています。
そのような「前向きの姿勢」はやはりブルースマンたちからも注目されるワケで、それがまた「良い」契約につながる、という理想的な方向に進むこととなったのではないでしょうか。
1963年に USAレーベルに初吹き込みを経験し、ただしそれはパっとせず、Chess で Willie Dixon の手になる Wang Dang Doodle がヒットして、一度は上昇機運を掴んだかに見えた Koko Taylor( Cora Walton; born in Memphis, 1938 )が結局どちらもいまひとつだったアルバム 2枚の後で Chess を離れて移籍してきたのも、そんな Alligator に可能性を見出したからかもしれません。
どちらかと言えばそれまでは制作サイドの言いなりのように、あてがわれた曲をあてがわれたバッキングで録音していたワケですが、この Alligator での Koko Taylor の「最初の」アルバム、AL-4706、I Got What It Takes では、まるでそれまでの反動であるかのように、バック・ミュージシャンはすべて Koko 自身がセレクトした、と言われています。
ギターには、数々のバッキングを通じ、いろいろなブルースマンの名盤の完成に貢献してきた Mighty Joe Young と Sammuel Lawhorn!
特に Mighty Joe Young は Koko 本人、Bruce Iglauer とともにプロデュースでも一枚噛んでいます。
そしてキーボードには、前年の Fenton Robinson の Somebody Loan Me A Dime に引き続き、(江戸川スリム氏によると)現在はデトロイトに住み、ギネス認定の最長ヒッチハイク距離の世界記録を持つだけあって、その放浪の途中、日本に立ち寄った際に覚えた(?)デタラメな日本語で歌をうたってる(!)っちゅう Bill Heid、そしてサックスの Abb Locke( Otis Rush の Cold Day In Hell や Albert Collins の AL-4730、Don't Loose Your Cool にも登場)に Cornelius Boyson のベース、そしてドラムは Vince Chappelle。
・・・この厚遇に Koko はかなり満足したようですが、せっかくその前年には年二枚のペースになりかけた Alligator がこの年には、この Koko Taylor 一枚で終わっているというのも、そのへんの「経費」が影響しているのかも(スタジオだって「いつもの」Sound Studios じゃないし)?
ま、もっとも、それ以外にも、この 1975年というのは、Alligator Records が初めて「従業員」を雇い入れた年であり、同時に、これまでのアパートの一室から、ノースサイドの一戸建(寝室が三つ!)に「社屋」(もちろん Bruce Iglauer の住居でもある・・・)を移転した年でもありましたから、そちらの経費の問題かもしれませんが。
それはともかく、受賞は逃しましたが、この Koko Taylor の I Got What It Takes は Alligator にとって初の Grammy 賞ノミネート作品となったのでした。
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1976
Chase the Hound
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そして翌1976年、こんどは別なアルバムがグラミーにノミネートされます。
それはその前年、1975年の 12月 17日に癌のために死亡した Hound Dog Taylor のライヴ録音からなるアルバム、AL-4707、Beware of the Dog でした。
いずれも 1974年の録音で、1月 18日に Illinois 州 Evanston の Northwestern University で行われたライヴを WXRT-FMのために録音したものと、同年 11月、22から 24日までの三日間 Ohio 州 Cleveland にある Smiling Dog Saloon でのライヴを、これも WMMS-FM のために録音していたものです。
さらにこの 1976年にはもう一枚、Son Seals の二枚目のアルバム、AL-4708、Midnight Son がリリースされています。
Bruce Iglauer によれば、Rolling Stone 誌が、「過去 10年間で最も優れたブルースアルバム!」と評したせいもあって、このアルバムから Son Seals が売れ始め、ライヴの予定が次々と入ってくるようになった、と・・・
やはり媒体の力って大きいですね。
ところで、この Son Seals の Midnight Son では再びジャケットの Special thanks to... に Bob Koester の名が「復活」しております。
ただ、Very special thanks to... という「より上級の」感謝目録も登場してはいるのですが(もっとも、その Special もつかない、「ただの」Thanks to... のクラスもいるので「いいほう」なんでしょか?)。
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1977
Only one
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続く 1977年の Alligator からは、たった一枚だけのアルバムがリリースされています。
その唯一のリリースであった AL-4709、盲目のピアニスト、Blind John Davis* の Stomping on a Saturday Night は現在、すでにカタログから「落ち」ており、ときおり中古盤市場に顔を見せる程度となりました。
*Blind John Davis ─ 1913年12月 7日、Mississippi 州 Hattiesburg 生まれ。
Bluebird 時代に多くの録音に参加した accompanist で、Tampa Red や、後に一緒に欧州ツアーを行った Big Bill Broonzy、そして Sonny Boy Williamson のバックも務めています。
他に Document に 1938年から 1952年までのコレクションなど。ヨーロッパでの録音が多い。この Stomping on a Saturday Night も 1976年、ドイツでの録音。
1985年10月12日、Chicago で死亡
1977年と言うと、実は年末の Fenton Robinson 日本ツアーが、法務省によって入国が許可されず、急遽 Eddie Taylor となったことで、日本ではエラい騒ぎ(?)となったものですが、その一件がおそらく原因だったのでしょう。すでに 7月17日と 8月 2日にレコーディングを済ませ、たぶんこれも 1977年中に発売される予定だったのでは?と思われる Fenton Robinson の二枚目は、翌年に持ち越されることになったのではないでしょうか?
そこらが、この 1977年には一枚しかリリースされていない「真相」かもしれませんねえ。
ところで毎度お馴染み(?)の Bill Heid ですが、この Fenton の二枚目のアルバムでもキーボードを担当してるんですよね。
ここ、Alligator では大活躍、でございます。
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1978
from Texas!
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さて、明けて 1978年、ようやく上記の Fenton Robinson の新アルバム、AL-4710、I Hear Some Blues Downstairs が発売されています。
前作ではホーン・セクションが後処理でオーヴァーダブされた、と言われていますが、今回は元録音からの参加のようで、そのヘンからもリキの入り方が感じとれます。
う〜ん、あの一件さえなきゃ・・・
特筆すべきは(って特筆するほどのもんでもないのかもしれませんが・・・)ジャケットのデザインに、今回は写真ではなく、あんまり「キモチ良くない」イラスト、っつうか「絵」が使われてる、ってことでしょか?
Chuck Nitti とかゆうイラストレーターらしいけど、ワタシにはこれを使ったセンスが理解できまへん。
あ、ついでながら、この Fenton Robinson の日本入国トラブルについては、Alligator の社史(?)みたいな Story のページでも「ヒトコトも」触れられておりません。
その社史(?)によれば、1978年の Alligator にとってイチバン大きかった出来事は、Albert Collins の参加であった!となっておりますが、ものには順序っつうものがありますから、リリース順に追っていくと、次は Koko Taylor の Alligator での二枚目となる AL-4711、The Earthshaker となります。
このアルバムではジャケット・デザインがまた写真に戻っておりますねえ。良かったぁ・・・
さて、ここではギターの一角、Mighty Joe Young が Johnny B. Moore*に変わり、キーボードとしてはピアノの Pinetop Perkins が参加しています。
*Johnny B. Moore ─ 1950年1月24日、Mississippi 州 Clarksdale生まれ。8才のときに Jimmy Reed に出会い、13才では Chicago で Jimmy Reed と演奏していたとか。
それを見て可能性を感じた Little Johnny Jones の未亡人に目をかけられ育て上げられたようです。1975年に Koko Taylor のバック・バンド、Blues Machine に参加。
続く AL-4712 となったのは、すでに Alligator では三枚目となる Son Seals の Live and Burning です。
このアルバムはまさにタイトルどおり、シカゴ・ノースサイドのブルース・クラブ Wise Fools Pub でのライヴを録音したもので、なんと(と言うのもなんですが)Elmore James の Talk To Me Baby (ただしここでの曲名は I Can't Hold Out になってますけど)で始まってて、そこらあたりがノースサイドかな?なんて半可通な印象を持ったものでした。
さて、いよいよ 1978年の Alligator Records の白眉(?)我が最愛の AL-4713、Albert Collins の Ice Pickin'でございます。
みなさまもご存知のように、Albert Collins と言えば Texas!
つまりシカゴのブルースマンじゃない、初めての契約アーティストだったワケですね。
この Albert Collins が Alligator と契約したことで、雑誌 Rolling Stone などは、これで Alligator もメジャー・レーベルの仲間入りをした、なんぞと評したそうですが、それって Hound Dog Taylor や Koko Taylor なんかにシツレーだよね。
ま、それはともかく、その前までは Canned Heat のボブ・ハイト、Eagles でお馴染みのプロデューサー、ビル・シムジクなんてえロック系の白人にカモられてた(?)Collins が、ここ Alligator では、その魅力をきちんと活かしてもらえてるんじゃないか、ってえ気がいたします。もっとも逆に言うと、そういう「ロック寄り」な活動があったからこそ Rolling Stone誌が、これで Alligator もメジャーだ!なんてトンチンカンなことを言ったんでしょね。
サイド・ギターに Larry Burton、キーボードには Allen Batts、ベース Aron Burton、ドラム Casey Jones というこのユニットで演奏された Honey Hush は、ワタクシにとって永久保存盤!てなショックでございました。
もちろん、このアルバムも Grammy Nominated となっております。
と、ここまでは Alligator の「通常アルバム(?)」として、4700番台からスタートしたシリアルが振られており、AL-4713 というと、ああ、13枚目のアルバムなんだな、とヒジョーに判り易かったのですが、ここに来て初めて「違う系統の」シリアルが登場します。
それが Alligator としては初めての Various Artists / Anthologies もの、AL-7701、Living Chicago Blues Iと、同じく AL-7702、Living Chicago Blues II でした。
このシリーズは後に( 1980年)その「 IV 」まで進んで完結するのですが、あまり世に知られていない、しかし充分な実力があるシカゴのブルースマンたちを広く紹介するためにリリースされたもので、そこには Jimmy Johnson Blues Band や Eddie Shaw and the Wolf Gang、Left Hand Frank and his Blues Band、そして Carey Bell's Blues Harp Band(ここまでが「 I 」、続いて「 II 」には)The Lonnie Brooks Blues Band、Magic Slim and the Teardrops、Johnny "Big Moose" Walker に Pinetop Perkins が収録されています。
この V/A、Living Chicago Blues の I の方は Grammy Nominated となりました。
この「 I 」に収録された Eddie Shaw のセットではギターが Hubert Sumlin で、もちろん Alligator への初登場となります。
また Carey Bell とともに息子の Lurrie Bell も参加しており、これも初登場ですね。
なお、これらのシリーズは 1991年に CD化されるに当たり、リマスタリングを施されていますので、当初のアナログ・ディスクとは多少バランスなどが変わっているかもしれません。
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1979
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翌1979年には、まず前年の Living Chicago Blues II に収録されていた Lonnie Brooks のソロ・アルバム、Bayou Lightning: AL-4714 が発売されています。
Living Chicago Blues II では 4 曲( Don't Answer the Door / Two Headed Man / Cold, Lonely Nights / Move Over, Little Dog )が収録されていましたが、このアルバムはそれらとはまったく別に録音されたもので、当然、一曲もダブってはおりません。
なお、このアルバムで特筆すべきは、我らが Billy Branch センセが一曲だけとは言え、ハープで参加しておる点でございましょう。モチロン Alligator への初登場でございます。
その曲名がまた「歩くXXX」に相応しく(?)Breakfast In Bed、っちゅうんですから出来すぎだよね〜。
なおジャケットの、ヘッドから稲妻をトバしてる写真、やはり、と言うか、Albert Collins の Ice Pickin' と同じ Jim Matusik の撮影なのでございました。
そして、どーでもいいようなことですが、このアルバムでは Very だろうが Special だろうが、thanks to...ってのがクレジットから省かれております。ま、だからどーした?と言われれば返答に窮するのではございますが。
これまで、基本として自社制作の録音をプレスし、販売する、というスタイルで来た Alligator ですが、この 1979年には、そこに初めて他社録音のリースでプレスする、という、まるでメジャー・レーベルのような製品が現れています。
それが AL-4715、Phillip Walker* の Someday You'll Have These Blues でした。
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Phillip Walker
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Phillip Walker; 1937年 2月11日、Louisiana 州 Welsh で、小作農で、まだ 14才と13才で結婚していた(!)父、Malvin と母の Viola Weber Walker(そのまた母が Cherokee だったので、いわゆる「インディアン」の血が半分、ということになります)の 7人目の子供として生まれる(全部で12人だそう・・・)。
Phillip が 8才になったときに一家は Texas 州 Port Arthur に移りますが Phillip が 12才になったころから父の健康が悪化し、家計は逼迫してきたようです。
そのため Phillip はそこで学校教育から「脱落」した・・・
1920年代には、母方の叔父たちはみんなバンドに参加していたようですが、1930年代には現役を離れ、それでも機会があるごとに集まっては楽器演奏を楽しんでいたらしく、さらに Clarence "Gatemouth" Brown がどうやら「親戚」だったようですねえ。
Second Cousin と phillipwalker.com では記しています。
おそらく学校に行かなく(行けなく?)なってヒマになったあたりではないかと思うのですが、次第に音楽に興味を持ちはじめ、しかしギターを買えるアテもなかったため、お馴染みの Cigar Box Guitar を自作しました。
ヒマさえあればそれを弾き、どんどん上達したもののようですねえ。
また変装したりして歳をごまかしてジューク・ジョイントやダンス・ホールにも「潜り込む」ようになり、そこで演奏している中に参加するようになったのが、まだ 15才の時だったそうで・・・
そこで知り合ったミュージシャンたちからも多くのシゲキをウケるとともに、その才能も認められるようになり、1952年には、Booted で R&B チャートを登りつめた Roscoe Gordon に認められ、そのレコーディングに参加しました。
おそらくこのあたりからではないか、と思うのですが、Lonesome Sundown との交流も生まれています。また同様に Lonnie Brooks や Long John Hunter、Ervin Charles といったミュージシャンとの交流から、彼のスタイルは醸成されていったのではないでしょうか。
続いて 1953年には Clifton Chenier が地方のクラブに出演していたときに彼を「発見」し、家族の了承を得て、ツアーに連れ出しました。
さらに Clifton Chenier の Specialty や Chess、Argo でのレコーディングに参加しています。
一方、彼自身は慢性の鼻炎に悩まされていたらしく、ツアーで立ち寄った Los Angeles では、その気候が良いのか、鼻炎の症状がかなり改善されることを知って、西海岸を住処としたい、と考えたようです。
1954年に内紛からバンドが解体した後も Clifton Chenier と二人で演奏活動を続け、これがまた彼のサイドマンとしてのスキルをさらにアップさせたのではないでしょうか。
その腕を買われて Little Richard、Etta James のバックも務めています。
1955年には Fats Domino と Little Richard、他にも Lowell Fulson や Percy Mayfield といったビッグ・ネームで組んだパッケージ・ツアーに加わり、全米を巡業しました。
ただし、そのような日々はそれなりに負担も大きかったようで、1959年にはウェストコーストに舞い戻り、そこで Ina Beatrice Gilkey という女性シンガーと組んで Bea Bopp というバンドを結成し 1963年には彼女と結婚。同年 AMC レーベルに録音もしています。また Model T. Slim や Eddie Taylor などのバッキングもしていました。
1973年には彼にとって初のソロ・アルバムとなる Bottom of the Top を Playboy レーベルに録音し、ここで「開花した」と言えるかもしれません。
ヒュー・ヘフナーの気まぐれみたいなこのレーベル自体は短命で終わっているのですが、原盤は Hightone に移り、1988年に再発されています。
ところで、同じ 1973年から翌年にかけて Phillip Walker は Chicago の WNIB-FM による Atomic Mama's Wang Dang Doodle Blues Show に出演し、シカゴ周辺でもその名が知られるようになりました。それが契機となって Bruce Bromberg の Joliet レーベルに吹き込まれたのが Someday You'll Have These Blues だったのです。
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Tex-Ark-ana
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この Phillip Walker もまたシカゴのブルースマンとは言えず、Louisianna で生まれてテキサスからメキシコ湾岸周辺で音楽を作り上げ、そこから西海岸にも進出し、というふうに、軸足は常にアメリカの南部から西海岸の一帯ですから、普通なら Alligator との接点はありません。
ま、そこらは例の社史でもまったく触れられてはいないので、あくまでも想像でしかないのですが、もしかすると Albert Collins の Ice Pickin' の手応えから、シカゴだけではなく、ある程度、南部のブルースも用意したほうが販売戦略的には「良いのでは?」という判断があったからではないか、なんて思っておりますが、さてどうでしょ?
なんたって Alligator の次のリリースだって Lonesome Sundown の Been Gone Too Long ですからねえ( AL-4716 )。
もちろん、これも Joliet レーベル に 1977年に録音していたもので、この録音には、ギターで「ちゃ〜んと」Phillip Walker も参加しております。
実はこの Been Gone Too Long、これもまたワタクシにとっては忘れ難い一枚なのよねん。
なんでか、ってえと、そう! Louisianna Lover Man が入っているから!
もともとはそんなに過激じゃないんですが、そいつをワタクシと来たら、もう「絵に描いたよな」Rocn'N'Roll スタイルにしちゃって、ギターをバリバリに弾き倒す!てな「とんでも」なアレンジでやっております。
この Lonesome Sundown の Been Gone Too Long、そしてその前の Phillip Walker の Someday You'll Have These Blues も、現在では Alligator のカタログから「落ち」、その後 Hightone Records から 1991年に一緒に再発売されています。
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Back to 1963
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ここまでの Alligator は基本的に、その時代のリアルタイムで輝いている、あるいは輝きを放つことになるミュージシャンを採り上げています(ま、強いて例外に近いと言えば、すでに欠番となっている Blind John Davis でしょうか?この人はやはり Bluebird 時代、という言わば「過去」の人であり、1970年代でもヨーロッパではそこそこ「ウケ」てはいましたが、世界的にはもとより、カンジンのアメリカ国内でも、さほど評価はされなかったハズ)。
そうして常に「現代」を見据えて来た Alligator でしたが、この 1979年には、ひとつのアルバムが注目されます。
Alligator AL-4717 は、これまでの Alligator ではあり得なかったスタイル、つまり Alligator が創設された年( 1971年 )にはもう既に死亡していたブルースマンの録音(それもプロ機材ではなく、またピアノもスタジオ・コンディションではない)をプレスしたものでした。
Bruce Iglauer がまだブルースに目覚めていなかったハズの 1963年の夏、Pete Welding と George Mitchell それに Mike Bloomfield は、あの Elmore James の Broom Dusters の、というか Big Maceo の・・・等々、あまりに形容する言葉が「多過ぎる(!)」名ピアニスト Little Johnny Jones のためにシカゴ・ノースサイドの、客が 50人ほどのコーヒー・ハウス、Fickle Pickle に Billy Boy Arnold も呼んで、この二人に一緒に演奏させることとなりました。
それを録音していたのが Norman Dayron で、そのモノラルのテープレコーダーに二本のマイクをカンタンにミキシングして入れたものですが、その後のテープの管理が悪かったのか、ところどころ磁性粉が剥離していたようで、ごく短いながらも音が欠落したりしている、という状態だったようです。
それでもこの二人による演奏は Alligator AL-4717、Johnny Jones With Billy Boy Arnold として発売されました。
Little Johnny Jones; 1924年11月 1日、Mississippi 州 Jackson で、教会でピアノを弾いていた、という母 Mary、そしてギタリストであり、ハープも演奏したという父 George の間に生まれています。
どうやら 6才年下の Otis Spann とも血縁関係があったらしく、ただ、First Cousin とはされていないので、「いとこ」とは言えなさそうですが。
Johnny Jones は、その家庭環境から、ピアノとハープで音楽との関わりを持ち始めたようですが、そのピアノは(最初はともかくとして)母からではなく、主に Big Maceo Merriweather から学んでいた、と言われています( Document DOCD-5214 および 5215 では彼のピアノのみならず「ハープ」も聴くことが出来ます)。
1946年にはシカゴに来て、彼にとっての「先生」Big Maceo のもとで修行にハゲむことに。また Big Maceo も Johnny Jones をとても気に入り、大事に育てたみたいで、そこらの信頼関係が後に発病して半身不随となってしまった Big Maceo を Johnny Jones がサポートする、というスタイルを生み出したのではないでしょうか。
そして Big Maceo を通じて Tampa Red とも知り合い、その録音に参加しています( 1949年 )。
しかし、なんと言っても、彼のキャリアでもっとも重要かつ華々しいのは、「あの」Elmore James の Broom Dusters のメンバーとしての活動でしょう。
なお、この Little Johnny Jones については、実に詳しい解説が江戸川スリム氏のページに載っておりますので、ゼヒご参照くださいませ。
もはや肺癌がかなり進行していた、という Little Johnny Jones ですが、共演した Billy Boy Arnold は「自分のカラダの不調なんて感じさせない、常に楽しい雰囲気を感じさせてくれた」と語っているし、Eddie Taylor も「いつも冗談を言ってまわりを笑わせてくれてた」と回想しています。
この録音の翌年、1964年11月19日、Little Johnny Jones はついに還らぬひととなったのでした。
それは、早過ぎると言われた Elmore James の 45才での死から 1年半後のこと、Little Johnny Jones は 40才になったばかりで・・・
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1980
Professor!!
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1980年の Alligator はこれまたシカゴ以外の「大物」で始まりました。
それはすでにローカル・レーベルや Mercury や King-Federal、Atlantic にシングルを残してはいたものの、いったんは歴史から消えかかり(?)Mike Leadbitter に再発見されて再浮上した、まさに New Orleans の名士と言ってよい Professor Longhair のアルバムです。
1979年の11月、Professor Longhair は Louisiana 州 New Orleans の Sea-Saint Studio(あら、懐かしい!あの New Orleans Jazz and Herritage Festival 1976 で Earl King の Mama & Papa なんて曲が、一見、いかにもライヴっぽく拍手やら歓声が「入って」いるのに、ちゃんと録音したスタジオ名がクレジットされててひっくり返ったもんでしたが、そのスタジオがこの Sea-Saint Studio なのでございます)でこのアルバム AL-4718、Crawfish Fiesta を録音しました。
これはまさに Bruce Iglauer 自身からのオファーによるものだったそうで、「これが One of the best Alligator ever released.となった」と述懐しています。
そしてこの Professor Longhair のアルバムは、まさに本人が死亡した 1980年 1月30日その日に発売されたのでした。
続いてリリースされたのは AL-4719、ふたたび Albert Collins で Frostbite です。
このアルバムには、これもまた彼を代表するような一曲となったナンバー、If You Love Me Like You Say が収録されておりました。
ただワタクシにとってはこのアルバム、別な意味で「重要」なのでございます。
それはなんでか、ってえと、そう!カンのいい方はお気づきかもしれませんが、こっから Albert Collins のベースには Johnny B. Gayden!っちゅうラインが生まれているワケなんですよねー。
かってワタクシ、大好きなベーシストとして Scott Rafalo、Larry Graham、Jack Casady の三人を挙げておりましたが、最近ではこれにプラス、この Johnny B. Gaydenを付け加えた四天王(?)てな扱いになっております。
AL-4720 となったのは Son Seals の Chicago Fire でした。
Bruce Iglauer 自身が惚れ込んでいたのでしょうか?ここまでですでに 4枚のアルバムがリリースされているワケで、22枚中 4枚、というのは「かなりな」チカラの入れようだ、と言えます。
ただし、その割には、と言っちゃあシツレイですが、ここ日本ではさほど Son Seals の声望が上がっているとは思えないんですよねー。
ま、かく言うワタクシにしたところで、あの Buddy Guy's Legends でのライヴの Don't Lie To Me なんて「スポットで」いいなあ、って曲はあるんですが、かと言ってアルバムを買うほどでもないか?てなビミョーな位置にいるんですよねー、この Son Seals って。
ただ、別にフォローするワケじゃありませんが、きっとこのひと、シカゴのクラブあたりでライヴに触れたら、かなりガッツ〜ンと来てたんじゃないか?てな気はいたしております。
さて、すでにその前半(?)の二枚を 1978年にリリースしていた、あの 7700番台のシリーズ V/A、Living Chicago Blues ですが、その III と IV が、間に一年置いたこの 1980年にリリースされました。
それが AL-7703、Living Chicago Blues III と AL-7704、Living Chicago Blues IV です。
前者には A.C. Reed* and the Spark Plugs、Scotty and the Rib Tips、Lovie Lee with Carey Bell、Lacy Gibson、Billy Branch( the Sons of Blues!)などが、後者には Detroit Junior、Luther "Guitar Junior" Johnson、Queen Sylvia Embry、Big Leon Brooks' Blues Harp Band、Andrew Brown が収録されています。
* ─ A.C. Reed; 1926年 Missouri 州 Wardell 生まれ。16才でシカゴに出て製鉄所で働き念願のサキソフォンを質流れで購入。ビッグバンド・ジャズを目指し Chicago Conservatory of Musicに二年行く間に Gene Ammons を知り、以後、夜毎ブルースのギグに参加するように。また J.T. Brown からジャズとブルースでのサックスの違いを教わる。
戦後は Willie Mabon、Earl Hooker を経て Dennis Binder's Rhythm & Blues All Stars でもっぱら白人の聴衆を相手にするバンドも経験。
1960年代にはシカゴに戻り Age Records(?さしもの Wikipedea でも名前さえ挙っていない・・・)で Earl Hooker 「が」バッキングでシングルを吹き込み。他に Nike、USA、Cool などにもレコーディングしている。
1967年からは Buddy Guy と Junior Wells のバックとなって知名度もアップし、さらにその間にストーンズのバックとしてアフリカ&日本ツアーにも同行。
・・・つまり、彼の場合には「実力があるのに、それまではあまり知られていないブルースマン」って部類ではなく、ある意味、相当に知られてはいるけれど、まだリーダーとしての仕事の部分が知られていない、というパターンでしょうね。
ただ、申し訳ないけれど、ワタクシ個人的には、このひとのサックス、「嫌い」です。あははは
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Budget!
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さて 1980年の Alligator には、さらに特筆すべきことがあります。
そのひとつは、この Alligator Records 初の Special Budget Album; つまり「特別寄せ集め」アルバム、AL-9301、Blues Deluxe でした。
と言っても、「余ってた録音」やら「隠れた録音」などを発掘したワケではなく、1980年の Chicago Festival の Blues Deluxe Stage を Recording Mobile と呼ばれる録音機材一式を装備した特装車両を派遣して、ライヴ・ステージを録音したものなのです。
そこに収録されたのは・・・
The Lonnie Brooks Blues Band による Sweet Home Chicago、The Son Seals Blues Band による Don't Throw Your Love On Me So Strong、Mighty Joe Young の Need A Friend、Muddy Waters(!)の Clouds In My Heart、Koko Taylor and her Blues Machine で Hey Bartender、Willie Dixon and the Chicago Blues All Stars による Wang Dang Doodle の 6曲でした。
フェスティヴァルの「記録」的な意味合いがあったので出来たのでしょうが、当然マディや Willie Dixon、Mighty Joe Young などは「他社」の所属ミュージシャンでしたから、その許諾を必要としたようですね。
しかし、実は 1980年の Alligator では、もうひとつ、こちらこそ「特筆すべき」ってヤツじゃないか?ってえ動きがありました。
それは AL-8300番台という新たなシリーズで、その第一弾となったのは AL-8301、Black Slate でした。
と言って「おお!Black Slate!」なんて判る方もいるんでしょうが、ワタクシにはさっぱ判りません。どうやらイギリスの Reggae 系に分類されるバンドのようでございますね。
ただし、現在ではこれもカタログから「落ち」ております。
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1981
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そして続く 1981年にもその Black Slate の Alligator 二枚目となる AL-8302、Rasta Festival がリリースされていますが、これもまた現在ではカタログ落ち!
同じく 1981年で、その Black Slate に続いては「通常プログラム(?)」のブルース・アルバムで AL-4721、Lonnie Brooks の Turn on the Night がリリースされました。この Lonnie Brooks も、なんだか日本ではいまひとつ伸びない、っつうか、ま、いまだにシカゴっつうと Chess で、「マディを聞け!」なんて言う '50年代シカゴ・ファンダメンタリストだらけのニッポンじゃ「それ以降の新しいシカゴの音」ってのは、どうも「すべてダラクしてる!」なんてほざくのが「通」ってことになってるらしいんで、なかなか受け容れてもらえないのかもね。
さて、次はモンダイ(?)の AL-4722、Tony Mathews の Condition Blue です。
どうもウェストコースト系のブルース、てな区分になるらしいのですが、試聴してみた範囲では、まあ、こう言っちゃあなんですが、あまり「ブルース」って感じじゃないんですよねー。で、ソウルとか R&B なんてのともちょとちゃう、ん〜、強いて言えばちょい黒っぽいリズムのあるポップス、てな感じでしょか?
ま、Bruce Iglauer は「いい」と思ったからレコーディングしたんでしょね。
と言いつつも、これまたミゴトにカタログから落ちております。成仏せいよ・・・
続く AL-4723 には、かなりのビッグ・ネームが登場します。
Buddy Guy が 1979年10月31日にフランス Isabel Records のために、同国 Toulouse で録音したアルバム、Stone Crazy を獲得!
それは、あの Vanguard における A Man and the Blues 以来、久々( 14年ぶり!)の「フル・スロットルの」Buddy Guy として注目されました。
まったくツアー・バンドのままツールーズの Condorcet Studios に入った Buddy Guy は、サイド・ギターの Phillips Guy、ベースの J.W. Williams、ドラムの Ray Allison という「たった四人で」このアルバムを録音しています。
このアルバムによって Alligator のレコーディング・アーティスト(あ、厳密には Isabel 経由だから「違う」のかもしれませんが)のリストには「 Buddy Guy 」と言う名前も加わるようになったワケでございますね。
そして AL-4724 が Koko Taylor の From the Heart of the Woman で、このアルバムでは Billy Branch が Thanks, But No Thanks、Never Trust A Man の二曲に参加しています。
このアルバムの二曲目に収録された、あの Etta James の名曲、I'd Rather Go Blind は、オリジナルよりもさらにいっそう静かに重く、こってりと(?)演奏されてますが、そこらは好みが別れるところかもしれません。
あ、そうそう、ここでのキーボードは Bill Heid でございますよん。
さて 1981年の続く AL-4725 は Albert Collins and the Icebreakers の Minesota 州 Minneapolis の the Union Bar での同年 3月の 5日から 8日にかけてのライヴをレコーディング・モービルを派遣して録音した Frozen Alive でした。
この時点で the Icebreakers というバッキング・グループの名前が登場するワケですが、どうやら、さほど厳密なものでは無さそうです。
一応、この時点でのメンバーを挙げておくと、サイド・ギターには Marvin Jackson、オルガンに Allen Batts、ベースは Johnny B. Gayden、ドラムに Casey Jonesといったところで、サックスには A.C. Reed が入ってます。
合計 7 曲が収録されているのですが、ワタクシのお気に入りは、ってえと「とーぜんじゃん!」の Cold Cuts!
そう、Johnny B. Gayden のスラッピングがドたっぷりと聴ける、まるでインストナンバーかいな?っちゅう曲で、いやもう、このベース・ソロなんて何遍聴いても飽きませんねえ。
あ、でも、このアルバム自体は、例の Molten Live なんてえ「くそアルバム」よりはうんといいんですが、Ice Pickin' なんかに比べると(ワタシとしちゃね)ちょと「落ちる」かな?
ま、Caldonia もやってる!っちゅうんで期待して聴いたら以外とゆったりのんびりしててアテが外れた、なんてとこが影響してるだけ、っちゅうウワサもありますが。
次にリリースされた AL-4726 は、あの 1970年、Monterey でのライヴが有名な Johnny Otis Show・・・いえいえ、正確に言えば、Live at Monterey とはシンガーが「全とっかえ」状態だった The New Johnny Otis Show With Shuggie Otis でした。
だってその顔ぶれが Linda Dorsey、Delmar "Mighty Mouth" Evans、Vera Hamilton、Wendell D. Perry、David Pridgen、Charles Williams となってて、でなくてもベンキョー不足なワタクシには、ただの独りとして「知ってる」のがおりません!
なんたって Johnny Otis が教会でのゴスペル活動を通じて集めたシンガーらしく、それじゃ判らないのもムリないなあ・・・ってワタシには、ね。
・・・というところで、この 1981年に Alligator からリリースされた後半の三枚、昨日の Koko Taylor から、この The Johnny Otis Show までは、いづれもグラミー賞のノミネート作品となったのでした。
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1982
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明けて 1982年にもグラミー賞のノミネート作品は続きます。
AL-4727、Hound Dog Taylor の Genuine Houserocking Music がそれ。
もちろん Hound Dog Taylor はすでにこの世のひとではないので、新録音など出来る筈はなく、実はこれ、最初に Hound Dog Taylor の、それこそ「ノン・ストップ・レコーディングで録りためたもの」から 1971年の AL-4701、Hound Dog Taylor and the HouseRockers、同じく 1973年の AL-4704、Natural Boogie としてリリースした「残り」だったのです。
なんて言うと「カス」みたいに聞こえますが、ああた、それは Hound Dog Taylor のなんたるかを知らないヒトの言うことよ。
Hound Dog Taylor のテイクはすべてカスっちゃカス、宝石っちゃ宝石!どっちだと思うかはああた次第ですがな。
ワタシゃあもちろん宝石派でございますから、このアルバムだってだ〜い好きざます。ま、配分から言って Brewer Phillipsクンの活躍する曲が増えてはおりますが、それだって The HouseRockers のサウンドですからねえ。
しょっぱなの Ain't Got Nobody からガッガ・ガッガと骨盤がスウェイするよな「腰に来る」ブーギで迫ってくれます。
ま、Kansas City も面白いし What'd I Say なんてとこもなかなか。
・・・あ、どうも Hound Dog Taylor にはつい点が甘くなっちゃいますねえ。
で、別に、それにひきかえ・・・てな文脈では決して無いのですが、ここまでそれに触れてきてますから言わせていただくってえとグラミー賞の候補に「ならなかった」のが次の Magic Slim のアルバム、AL-4728、Raw Magic でした。
サンバーストの Fender Jazzmaster、それも最後期型のネックにセル巻き、ブロック・インレイっちゅう(ワタシの嫌いなタイプのネック!)ギターで隠しきれない、すでに Slim とは言えんのじゃないか?ってえ太っ腹ぶりのジャケットが微笑ましい(か?)このアルバム、実は Buddy Guy 同様、フランス録音でございます。
ヨーロッパ・ツアーの途中でツールーズの Condorcet Studios において Isabel Records のために録音した二枚のアルバムから、Alligator が選りすぐって一枚にしたのがこのアルバムでした。
さすが Jazzmaster!と言うか、ミョーに中途半端なサステインや、飽和と歪みの中間みたいなどっちつかずな潰れ具合、なんてのが持ち味なんでしょか?
それってヴォーカルにも、ギター・プレイにも共通するようで、良くいえば「ほのぼの」、ま、見ようによっちゃあ「タルい」あるいは「詰めが甘い」てな印象も受けちゃうでしょうねえ。
「あの」Mustang Sally だって、このひとの手にかかると、やたら牧歌的な、この程度の荒馬ならたいしたことねえや、なんてスケールに感じられるところが人徳(?)でございましょう。
特に Mama, Talk To Your Daughter なんてのは、オリジナルの J.B. Lenoir はもとより、あの Magic Sam っちゅう偉大なる先達も採り上げておるだけに、モロ比較されちゃうワケで、でも、そんなのお構い無しにやっちゃうとこがまた Magic Slim ならでは、っちゅうものかもしれません。
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Clifton Chenier
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さて、この 1982年には Alligator にまた別な方向のビッグ・ネームが登場します。
エスニックなクレオール系の音楽と R&R、R&Bなどのエッセンスを融合させた "King of Zydeco"のアルバム、AL-4729、Clifton Chenier の I'm Here がそれです。
ただしこの録音そのものは Sonet からのリースであり、Bruce Iglauer の手は入っていません。
Clifton Chenier; 1925年 6月25日、Louisiana 州 Opelousas で小作農だった両親のもとで生まれました。
そして父もアコーディオンを演奏していたため、その教えを受けて上達したもののようです。
1944年ころには、同州 New Iberia 周辺のさとうきび農園での刈り取り作業に従事していたようですが、1947年には先に出て行っていた兄の(注:例によって「英語」では Brother とあるだけで、実際には兄か弟か判りません。ま、先に出て行ってたってことで「兄」としてるだけで、文献上で Elder という単語が発見できたワケではありません)Cleveland(後に彼のバンドのラブボード奏者となる)を頼って油田( ALLigator の資料ではその場所を Louisiana 州 Lake Charles、としていますが、同地は油田ではなく石油精製産業の都市であり、別な資料では Texas 州 Port Arthur 周辺の石油の精製施設としています)に職を求めています。
そこで彼は日中、トラックの運転手として働き、夜はラブボードでリズムをとる Cleveland と共に演奏する毎日を送ったようで、次第にそのコンビは周辺一帯に活動の場を広げていったようです。
本人が語ったところによると、Louisiana 州南西部の「ローカルな」クレオール文化などをベースとしたザディコに、近代的なリズムやアンプリファイドの手法を持ち込むにあたって Lowell Fulson から多くを学んだのだそうで、それがエスニックな枠を超えて一般にも支持されるようになったある意味、ターニング・ポイントだったのかもしれません。
1954年には Elko Records と契約、Cliston (sic) Blues / Louisiana Stomp を録音し、これがまずまずのローカル・ヒットとなり、翌1955年には Specialty に録音した 12曲の中から Ay-Tete-Fee(英語だと Hey Little Girl。オリジナルは Professor Longhair )が彼にとって初の「全国的」ヒットとなりました。
おそらくそのヒットによってだと思うのですが 1956年には Day Job を離れ、自らのバンド the Zodico( Alligator の Biography にある原文のまま)Ramblers(ギタリストとして Lonnie Brooks、Phillip Walker、Lonesome Sundown も在籍することとなる・・・)を率いてツアーに出る、というフルタイムのミュージシャンとなっています。
1957年には Specialty を離れ、Chess と契約。
ただし実際にリリースされたのは 1960年の Checker 939、Bayou Drive / My Soul の一枚のみです。
そのころ Clifton Chenier はすでに Zynn に移っており、そこでは 1960年までにシングル 13枚を残しているようですが、ヒットには結びつきませんでした。
1964年には Chris Strachwitz によって Arhoolie Records と契約することとなり、シングルの後、ここで初めて彼はアルバム・レコーディングを経験することとなります。
ただし、ここで Chris Strachwitz の望む「エスニックな」サウンドと、Clifton Chenier 自身が志向する、よりモダーンなサウンドの兼ね合いが「難航した」ようですが(結局アルバムの裏表で「分割」した!)、それはこのアルバムにとどまらず、Clifton Chenier にとって、常につきまとうディレンマとなって行ったのではないでしょうか。
こんなこと言うと叱られるかもしれませんが、ギターいっぽん弾き語り、みたいなカントリー・ブルースなんてのを好むマニア(ま、偏見かもしんないけど白人に多いよな気がすんですよねー)に「合わせ」、今この時代にアコースティック・ギターでそれっぽく渋いブルースを吹き込むなんてのも、そこらの需要と供給のカンケーかなあ?なんて思ってしまいますね。
・・・なんてことはともかく、一応このアルバムによって知名度をさらにアップさせた彼は南部諸州、それもフランス系の文化を残すカソリック圏のサーキットを巡るツアーを行い、やがてはヨーロッパにもその範囲を拡大したのでした。
その活動が Sonet への吹き込みにつながり、Alligator からリリースされたこのアルバムは翌1983年、グラミー賞を獲得しています。
1987年12月12日、かねてから腎臓を患っていた彼は永眠しました。
このアルバムではそのバッキングに、兄弟でラブボードの Cleveland Chenier、アルト・サックスで息子の C.J. Chenierも加わっています。録音は Louisiana 州 Bogalusa の Studio in the Country。
ところでこの 1982年には、またしても三枚の Reggae らしきアルバムがリリースされておるのですが、現在ではリッパにカタログ落ちもしてるこったし、ワタクシが考える「本流」からは隔たっているように思いますので、今後 Reggae 系についてはロクに調べもせず、単にそんなのがあったみたい、っちゅう記述で済ませることといたします。
その三枚とは
AL-8303 Mighty Diamonds の Indestructible
AL-8304 Edi Fitzroy の Youthman Penitentiary
AL-8305 The Abyssinians の Forward
でした。
そりゃちゃんと調べて、それぞれどうゆうバンドか、なんてのも書いたほうがいいんでしょが、なんかそうゆう副線で時間をとられるのって、あんまり好きじゃないもんで・・・
ま、ここを「熱心な」Reggae ファンが検索で見つけて訪れたら、なんだよう、名前だけかい!なんて怒るかもしんないけど。
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1983
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1983年は AL-4730、Albert Collins の Don't Lose Your Cool で始まりました。
このアルバムでもベースはモチロン Johnny B. Gayden で、中でも Ego Trip でのパターンっぽいベースがワタクシのお気に入り。
あ、それと今回キーボードを担当してる Chris Foreman ですが、とうぜんハモンドでの参加がメインで、Collins 好みのバックを作り上げております。でも、ワタクシにはそんな彼が華麗な(やや「華麗すぎる」?)転がりっぷり(?)を繊細に散らした ... But I Was Cool でのピアノが「来ます」ねえ。
ところで、このアルバムのライナーではやはり、このバック・バンドにも the Icebreakers の名が与えられておるのですよ。
ま、そこら、あの Elmore James と Broom Dusters みたいなもんなんでしょね。聴衆にとっちゃ、フロントのメインさえ一緒だったら、そのバックなんてどーだっていい(・・・はあんまりだけど)ワケで。
ただ、ワタクシとしましては、これまでの A.C. Reed に加え、その後、もっといい(なんて言うと語弊があるか?)バッキングをしてくれる Abb Locke のサックスが加わっているとこに注目なんですけど。
このアルバムでは( Percy Mayfield の)My Mind Is Trying To Leave Me、Melt Down、そして Ego Trip の三曲でソロを取っていますが、なんたっておヘソが曲がったとこについてそうなワタクシですから、A.C. Reed よりも「いい!」なんて言ってしまうんですねえ。
ま、結局は「好み」の問題ですから。
ワタシにゃあ A.C. Reed が合わないってだけでしょ、きっと。
続く AL-4731 は Lonnie Brooks の Hot Shot です。
ほんとこのひとのブルースってソツがなくって流れるように聴けちゃうんですが、そのぶん、あまり後に残るモノが無いってえか、テクスチュアが稀薄っちゅう気がすんですよねー。
こんなこと言うと、またひがみだろ、なんて思われそうですが(しかも当たってるし?)、声が良すぎるんじゃないのかなって気がすんですよ。
唄い方にしても洗練されてるし、そこらもな〜んにも文句はありません。
でも、そのぶん「刻みつけて」去っていく、じゃなく、こっちのココロは無傷なまま。さっ、休憩が終わったから仕事に戻るか!てな日常への復帰が「容易」なんですよねー。
・・・てなことはともかく、このアルバムでもサックスに Abb Locke が参加しています。で、ん?これって PCM のディジタル音源じゃねえか?っちゅう疑い濃厚なピアノは Ken Saydak。ま、別にいいんですけどね。
しかしっ!・・・なんてリキむのもなんですが、このアルバムでイチバン重要なのは(って、ワタシにとっては、ってことですけどねん)、アレンジャーとして、「あの」Dion Payton の名前がクレジットされてること!
って、それが言いたいがために「やや」クドクドと「のーがき」タレて来たよなもんでして。
ところで、このアルバムに収録されている Brand New Mojo Handって曲、おっ! Lightnin' のあれのリメークか?なんて思わせるよなタイトルですが、まったく、ぜ〜んぜん似ても似つかないタイプの曲ですのでそこらよろしく(?)。
で・・・と来て、ここで軽くひとつタメイキ。
つーのも、次の AL-4732 をどう「考え」たらいいもんだか悩んでいるからなんざます。
Big Twist and the Mellow Fellowsっちゅう名前からしてアヤしいじゃん?
で、聴いてみるってえと、これがまた、ん〜、特にこれと言って「イヤ」だ!なんて部分は別に無いんですが、でも、こいつらいったいドコを目指しておるのか?っちゅうコンポンテキな疑問がフツフツと・・・
この Playing for Keeps ってアルバムは、旧来の R&B のクリシェをふんだんに盛り込み、それでもってこれまでの R&B とは違う方向を模索でもしてるんでしょか?
上で名前が出て来た Dion Payton が、むしろ外部のエレメントを導入して(ま、それゆえに「こんなのブルースじゃない」とか「これじゃロックじゃん」なんて言われちゃうワケですが)All Your Affection Is Gone という唄い継がれる名曲をモノにしたのとは対照的に、この音はあくまでも「ありきたりな」、いえこう言っちゃ悪いけど、なにひとつ Inovative なものが無い、よくこなれた音楽を今日もまた、ってえヤツじゃないのかなあ。
いやまあ、この後だってアルバムは出してますから、それなりの売れ方はしてるんでしょね。
ま、そんな「冷たい」ことを言うのも、今から 44年も前に、あの STAX のスタジオで起きた奇跡をひとつのトップ・ケースとするならば、この録音は「ずいぶんと」それから隔たったシロモノだなあ、なんて無いものねだりがアタマをもたげるからかもしれません。
そしてこの 1983年ってのは、あの整形で白人になろうとするマイケルがまだ黒くて(?)Billie Jean や Beat It 、そして Thriller を連発した時期だし、Princeなら Little Red Corvette 、ちょと畑はちゃうけど Herbie Hancock の Rock It が出た年ですからねえ・・・
そう考えると、この古き佳き音(?)ってのはどーなんでしょ。
ま、もっとも、この Mellow Fellows だってあっちこっちのクラブでのナマじゃあ、みんなを熱狂させてたのかもしれませんねえ。
さて、この 1983年にも Reggae(たぶん、ね・・・)のリリースが続きます。
ただし、それらはすでにカタログから落ちているものばかりではあるのですが・・・
AL-8306; Mutabaruka Check It!
AL-8307; Augustus Pablo King David's Melody
AL-8308; Pablo Moses In the Future
の三枚がリリースされております。
各アーティストの正確な紹介などは、各自、検索などしてお調べくださいませ。
なお、ここで(ワタクシの知る限りでは)Alligator 初の EP( Extended Play の略で、回転数は毎分 45、収録曲は裏表二曲あるいは四曲。この場合どちらか、ってのは記述が無いため不明。なお 33rpm のものは、たとえサイズがシングルのサイズであっても EP とは言わないので注意!)AL-501; Mutabaruka Johnny Drughead ってのもリリースされているようでございます。
そのへんの知識にはまったく欠けておるため(あ、教えてくださらなくてケッコーですよ〜っ!頼むから放っといてちょーだい!)、なにも言うことはございません。
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1984
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1984年も幕開けは Albert Collins でした。
AL-4730、Live in Japan です。
このアルバム自体は日本のユピテルから発売されていたもので、当然 1982年12月21日の日本ライブ( The Blues Show '82 at 九段会館)を収録したもの。
このときのメンバーは、サイド・ギターに Larry Burton、ベースはそりゃもう(?)決まってるじゃん!の Johnny B. Gayden!
ドラムはこれまたとーぜんの Casey Jones。そしてサックスは A.C. Reed でした。
某所ではこのアルバムをコリンズ・ファン必聴!としてましたが、コリンズのファンだったらどのアルバムも必聴盤(あ、Molten Live だけは、ちとどうか、と思うけど・・・)なワケで、こんな言い方は水をさすようですが、並みいるアルバム群の中で、これが真っ先に「必聴」と言えるだけのプライオリティを持つかどうかは、そのひとによるでしょう。
ま、誰もキョーミないでしょうが、ワタクシ個人としちゃあ「オルガンが無くて A.C. Reed が入ってる」っちゅう意味で、かなり順位は下がります。
やはりライヴってことなら、Alligator じゃないんでちと気がひけるんですが、pointblanc 7243 8 40658 2 9、ALBERT COLLINS and the ICEBREAKERS LIVE '92 - '93 でしょ!
・・・なんてことを言っててもしょーがありませんね。ま、この日本ライヴでも、やはり Skatin' で Johnny B. Gayden のベキバキ・ベースは楽しめます。
続いては、どっちかってえと「地味」な部類に入るかもしれないブルースマンなんですが、それを派手にもり立てようってワケでしょか?バックがまあ・・・
なんたって Sonny Terry と来たら、無条件で Brownie McGhee が「ついてくる」なんてケースが多いのでございますが、その Brownie McGhee と袂を分った Sonny Terry にギターをつけるのが、ここではなんと、ジョニー・ウィンターなんですねえ。
しかもベースもまた大物で Willie Dixon ですよ!ま、ドラムの Styve Homnick ってえのはどんなんだかちと判りませんが。
で、出来上がりはどうか、ってえと、まあ、さすが Willie Dixon の存在によるものでしょか、ジョニー・ウィンターのギターもピアノも、かなり抑制の効いた、控えめな印象で、Sonny Terry の邪魔しないようにしてる、っちゅー印象ですね。
ただ、それがアルバム自体の魅力を高めることにつながっているか?と言われると、ん〜、ちとビミョーかも・・・
ま、そこら「フォーク・ブルース」なんて形容されそうなスタイルのブルースには「冷たい」ワタクシの言うことなんで、そこらが「お好き」な方にはまた違った評価がございましょう。
で、その Sonny Terry でギター&ピアノを担当してたジョニー・ウィンターがなんとその次の AL-4735 でアルバム、Guitar Slinger を出したのでございますよ。
そのバックには、なんだか見慣れた名前がイッパイで、たとえばキーボードは Ken Syadak だし、ベースも Johnny B. Gayden、と来ればとーぜんドラムは Casey Jones!しかもホーン・セクションにしたところで、Gene Barge 以外は「あの」"Big Twist" のとこで出てきた the Mellow Fellows そのもの(あ、ひとりだけ違うけどね)。
そして Billy Branch がハープで参加!
もうどっから見ても「ブルース」っちゅう「こてこての」線を狙ったみたいですが、ちょっと息苦しい感じを受けるかも(・・・って、まったく受けないひともおられるでしょうが)。
なんつーか、あまりの真っ向勝負で、その意欲やら、ブルースへの「強い」愛情みたいなもんは確かに感じるんですが、なんだかそれがアダになって、「がんじがらめになってる」つうか、そ、「余裕」!それが無いんですよね。
彼の、ロックンロール大会になったエドガー・ウィンターやリック・デリンジャーとのライヴのあの「のびのびと」ハジケまわる遊び心、それがここではヘンにマジメ一方になっちゃったみたいなつまらなさ、かなあ?
うん、そこらがワタクシの唯一認める白人ブルース、Elvin Bishop との違いかもしれませんねえ。
ま、もっとも、このジョニー・ウィンターのファンってけっこーいるみたいですから、それなりのマーケットはある、と判断して Alligator でもリリースしたんでしょうが。
なんだかちゃうとこでも言ってますが、このひともブルースじゃなく、もっとロックに寄ったサウンドのほうが好き。
なまじ「マジ」にブルースやられちゃうと、かえってつまんないんだよねー・・・ってのはワタシだけなんでしょね、きっと。がはは!
続く AL-4736 は、またしても Fenton Robinson です。
その Nightflight は、オランダのレーベル Black Magic からのライセンシーのもとでリリースされたもの( Black Magic 9005、Blues In Progress )。
ただし録音は地元の Chicago で行われています。
事実上、Fenton Robinson のサウンドは、このあたりからすでにシカゴのクラブ・シーンにあってやや凋落し初めていたようで、それは特に黒人の若い世代の聴衆が注目し初めていた Kindsey Report などの音からすると、あまりにも「丸く」、良く言えば「オトナの」、悪く言えば「かったるい」音として支持を失って行くことになります。
時の流れは残酷やねえ。
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James Cotton
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みなさまもとっくにお気付きのよに、ワタクシ、そりゃもうとっても好き嫌いがハゲしく、嫌いなほーはってえと、ついぞこの日記でも採り上げたことがない!てな徹底ぶりなワケですが、それでもときどきはそのどっちゃでもないか?てな存在やら、あの Junior Wells みたく、どーも好きになれんのに、なんでかまた聴いてしまう、てなミョーなのもいたりして、さほど単純ではございません。
実は本日、登場いたします James Cotton、このひともそのライヴ・アルバム( BUDDAH 1976: Live & On the Move )はよく聴きました。
特に、当時のブルース・バンドのハープ、今(こん)ちゃんがその中のナンバーをやりたい、てなこともあって一時ヘヴィ・ローテーションだったことすらあります。
ただ、じゃあ James Cotton が好きだったのか?ってえとそこら「ちょっと」違うんですねえ。それは Matt Murphy を始めとするバッキングの一体となったファンキーなリズム、良くアレンジされた全体としてのサウンド、そのヘンに、ブルース・ブラザースに通じる面白さを感じていたからであって、むしろヴォーカルは誰でも、と言うより、もっとクリーンな声だったらなあ、てのがホントのとこだったのです。
もちろん、そのハープにしたところで、充分に「評価すべきもの」ではあるのでしょうが、ワタクシ、自分がハープを演奏できないもんでそーなんでしょうが、どうもこのひとのハープって、もちろん「嫌い」ってことはありませんが、さりとて「いいなあ・・・」とウットリしたこともありません。
ハープ業界(?)での評価とは「かなり違う」のでしょうが、ワタシが「いいなあ」と思ったハープって、「最初」が Carey Bell、「それから」Little Walter、最近では Billy Branch で、このグループが「好き!」っちゅう x軸を成し、一方 Sonny Boy Williamson や Junior Wells などの「凄えっ!」っちゅう y軸もある、と。(あと、ちょっと独特なプレゼンスで excello 系のハープやら Frank Frost なんていう、もっとユルいのもケッコー好きなんですが、なんだかハープ業界ではあまり重視されてないのかな?なんて気がしておりますが・・・)
ま、ハープに関しては掛け値なしの「門外漢」のワタクシの言うことですから、実際にハープをやっておられる方々からしたら「片腹痛い」でしょが、これが偽らざるワタクシのポジションなものでいたしかたございません。
さて、上でも出てまいりました BUDDAH での二枚組ライヴ、Live & on the Move ですが、最近の James Cotton を紹介するサイトでは、このアルバムは「さほど」重要な作品とは見なされておらぬようで、代表作の紹介からも見事に「落選」してたりしますが、ワタクシの「あやふやな」記憶では、このアルバム、当時はかなり一世を風靡したように感じておりました。
今となってはファンクに「寄り過ぎ」た、ってことで、マイナス方向へ振られちゃったんでしょか?
・・・てなことはともかく、その James Cotton の Alligator 初登場のアルバム、AL-4737、High Compression では、そのようなファンクの残り香を残しつつも、もっとトラディショナルな(?)シカゴ・スタイルへと「縮めた」感じがありますね。
やはりかってのマディとの活動などから、そういったとこを期待するファンも多い、ってことなのかも。
それに、このひとの場合、ロック・ミュージシャンとの共演やらバッキングへの参加もかなり経験していますから、逆にもう色んなこと、さんざんやり尽くしてるから、あまりこだわらない、なんてとこがあったりして・・・
ありゃりゃ〜、心ならずも、思わぬスペースを James Cotton に費やしてしまいましたねえ。
さて、続いての AL-4738 はまたまた Son Seals でございます。
この Bad Axe、ワタクシとしちゃ、ちょっとスミに置けないっちゅう作品なんですよ。と言うのも、実はこのアルバムの収録曲のうち、Cold Blood、Out of My Way、Can't Stand To See Her Cry、そして Person To Person の 4曲ではベースに Johnny B. Gayden が、そしてギターにはまもなく CD と DVD のリリースが予定されている Carlos Johnson が参加している!からなのねん。
しかも、もひとつ、I Can Count On My Blues じゃ、Billy Branch もハープで参加しとります!
もちろん Carlos Johnson はこれが Alligator への初登場ですね。
いやあ、Cold Blood なんかもなかなかいいですよー!
え?Person To Person?え〜と、それはその、なんだ、まあ好きずきっちゅうか・・・
ワタシだったら Screamin' Jay Hawkins のほーがいいと思うけどなあ・・・って、それと比べるのだけはヤメてくれ!なんて言われそうですね。ぎゃははは
ついでに(?)残り二枚の 1984年の Alligator のアルバムは、その 8300番台のシリアルで判るように、Reggae でしょ、きっと(と、聴いてもいないんでムセキニンですけど)
AL-8309; the Skatelites Scattered Lights
AL-8310; V/A Rockers All-Star Explosion
でございました。
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1985
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1985年の Alligator Records はひとつの節目を迎えます。
1971年に Bruce Iglauer のアパートを「本社」として発足した Alligator は 1975年には彼自身の住まいを兼ねた一戸建てに移転しておりましたが、それがこの年、ついに「本社」を近くの別なビルに「独立」させたのでした。
この時点ではフルタイムの正規従業員はたった 7名で、宣伝広告、プロデュース、配送から場合によっては所属アーティストのプロモーションまでもこなしていたようです。
そんなふうに会社を新たな場所に移転させたってのは、それだけ、次第にその製品が「売れる」ようになって来たということなのでしょうが、案外、それを支えていたのは、ワタクシにはあまり興味の持てない一連の「ブルース以外の」ものだったのかもしれません。
この 1985年には、Alligator はこれまでにない動きをします。
それは AL-4739 として登場した、このロニー・マックのアルバム、Lonnie Mack with Stevie Ray Vaughan: Strike Like Lightning から始まりました。
・・・なんて書くと、「おいおい、その前にジョニー・ウィンターがあったじゃねえか!」なんて言われそうですが、ま、ワタクシの「つまらない」こだわりとしちゃあ、このロニー・マックは「ブルースっぽいけど」れっきとした「ロック」のアルバムであり、そこら、ロックじゃなく、「ブルース」にしちゃったジョニー・ウィンターのアルバムには「あまり感心しない」からなのですじゃ。
その V字形の谷間に金属製の橋を渡し、それをテイルピース代わりにビグスビーのフリップ・タイプのトレモロ・ユニットをムリヤリ装着した「イミ判んな?い!」っちゅう Gibson Flying V がトレードマークらしい 1941年生まれの「白人の」ロニー・マックはワタクシ、「まったく」知りませんでしたが、Freddie King や James Brown とも共演したことがあるんだそうで。
また S.R.V.とも交流があったらしく、Alligator からこの録音の話があったときにさっそく参加してくれるように頼んだみたいです。
その効果もあってか、このアルバムはインデペンデント系としては画期的な売り上げをマークし、数々の評で「 1985年のベスト・アルバム」の称賛を受けることとなりました。
これと、この後に出てくるロイ・ブキャナンによって、それまではブルース・フィールドで「だけ」名を知られていた Alligator というレーベルが、これまではあまり縁が無かったロックのファンや、ロック専門の FM ステーション、また雑誌媒体などの広範囲なマスコミにも認知されるようになり、それが販路を拡大する際の「助け」になったことは「当然」のことで、そのような戦略的な意味合いから、この「変節」をポジティヴに捉える必要がある、と考えています。
もちろん、そのようなロックあるいはポップスへの「すり寄り」をキョヒし、孤高の境地を死守するレーベルもあるでしょうし、その「強固な姿勢」故に評価されているケースもあるようですが、でもねえ、逆にそのようなレーベルじゃ「トラディショナル!」っちゅうスタイルに固執するあまり、マニア受けする作品を、というバイアスがかかり、ある意味、すでに「伝統芸」でしかないものを再演させているだけ、のようなプロデュースやら、実際には現実とは遊離してしまっているにもかかわらず、「これがブルースだ!」みたいな一種の詐術で売っていたりするとこもあるよな気がすんだけどなあ。
・・・なんてことを書くと支障があるかな?ぐふっ。
で、上でも名前が出てきたロイ・ブキャナンの前に Koko Taylor のアルバム AL-4740、Queen of the Blues がリリースされています。
このアルバムの特徴は、Alligator の所属ミュージシャンが大挙してレコーディング・セッションに参加していることで、録音を行っていた Chicago の Streetville Studios には Albert Collins、Abb Locke、Lonnie Brooks、James Cotton、Son Seals といった錚々たる顔ぶれが出入りしております。
で、ベースは全曲 Johnny B. Gayden!
そして次の AL-4741 がロイ・ブキャナンの When A Guitar Plays the Blues でした。
それまでにそこそこのキャリアもあったロイ・ブキャナンですが、彼自身の「思うがまま」、やりたいことを好きなだけやらしてくれた、初めてのアルバム、というふうに Alligator の Biography では書いています。
と同時に、初めての「ブルースのアルバム」とも記されておりますが、まあ、それは「ロイ・ブキャナンが考えるブルース」の、という意味でしょ。
てなことはともかく、このアルバムはファンにはウケがよろしかったようで、発売されるやチャート入りし、実に 13 週間も居残り続けたのだそうですから。
確かに、世の「ギター好き」にはかなり好評だったようで、一部には「神様」のように崇め奉る層まで出現していたよな記憶があります。
ただし、このアルバム全体を通していえることは、やはり「ギターが主役である」ということ。
そりゃ Otis Clay( A Nickel and A Nail )や Gloria Hardiman( Why Don't You Want Me )がヴォーカルで参加した曲などでは、上質のソウルにも近い味わいがあるのですが、やはり「歌」よりも「ギター」のアルバムです。
もちろん、それが戦略的に間違っていなかったからこそ「ちゃ〜んと」ヒットして、そのおかげで Alligator だってぐんと知名度を上げたワケですから、「経営基盤が安定する=もっとブルースのアルバムもリリース出来る」ってえ「良い」結果となった、と。
ロイ・ブキャナンの AL-4741、When A Guitar Plays the Blues に続いたのは、ふたたびジョニー・ウィンターで、AL-4742、Serious Business でした。
Steinburger らしきヘッドレス・ギターを構えたジャケットは、Firebird で慣れた目にはちょと違和感がありますねえ。もちろん、ダメってことはありませんが。
このアルバムではリズム・セクションに Johnny B. Gayden と Casey Jones が投入され、ボトムを固めています。
ま、ご本人のヴォーカルが、なんだかちょっとリキみ過ぎ、って感じで、聴いてるとだんだん「息苦しい(あ、ここはゼヒとも、いまは亡き桂 枝雀師匠の「夏の医者」のあの口調で・・・)」てな気分になって来て・・・
続く AL-4743 は Real Blues に戻り、Albert Collins、Johnny Copeland、そして Robert Cray っちゅう三人の共演、SHOWDOWN! でした。
ジャケットでは三人が三様のギターを構えている写真が使われておるのですが、もちろん Albert Collins は「例の」テレキャスターだし、 Robert Cray はストラト。
でも、なんと言ってもここでの注目は Johnny Copeland で、それは、おお!ビンたれの味方(?)、あのミシシッピー・クロニクルズでも確か登場していた偉大なる安物ギター、Peavey ではあ〜りませんかっ!
そうそう、まだ「売れてない」ブルースマンは 355 どころか、335 だってなかなか買えない、っちゅーのが現実らしいですからねえ。Gibson なんて・・・
てなことはともかく、なんたってこのアルバムでは「あの」Black Cat Bone がいいですねえ。
最初の 2 コーラスを唄った Johnny Copeland のヴォーカルもいいし、Albert Collins に続いてとる 2 コーラス目のギター・ソロも、おお、これが Peavey の音か!てな感慨もひとしお(って、そんなのはワタシだけなんでしょが)でございます。
ま、他に、ワタクシがこの曲を特に「気に入ってる」ワケは、あんまり好きになれない Robert Cray が「存在してない」せいでもあるのでございますが。
ま、別に Robert Cray にこれと言ってウラミがあるワケじゃないんですが、あれ、なんの映像だったのかなあ・・・ Robert Cray がストラトを抱えて弾いてるとこを見たときに、そのギターの「持ち方」が気に喰わなかったのでございます。
え〜?そんなことで?バッカみたい!と言われることでしょうが、ワタクシ、そゆ変なとこにこだわるんですねえ。
同じよに、その持ち方で、あ。ダメだこいつ!と思ったのは他にリヴィング・カラーとかゆうとこのヴァーノン・リードたらいうギタリスト。
ただし、ワタシのいう「ダメ」ってのは、ギタリストとして、あるいはミュージシャンとして、はたまたブルースマンとして「ダメだ!」ってワケじゃなく、偏屈なワタクシとは「逸りが合わない」ってだけのこってすから、みなさまはもっと寛いココロで音楽を楽しんでくださいませ。
あ、そう言った舌の根も乾かないうちにナンですが、Johnny Copeland はインタビューで、ホントは Clarence "Gatemouth" Brown に Albert Collins、そして Johnny Copeland の共演で、というのが話の始まりだったのだが、なんたってそこはクソじ・・・うっぷす、お、大物、諸条件が折り合わず、Gatemouth が「降りてしまった」ため、やむなく Robert Cray が呼ばれたのだ、と・・・(ついでながら、「憧れの」Clarence "Gatemouth" Brown とは Verve 移籍後のアルバム、Catch Up With the Blues でミゴト共演を果たすことができました。とさ)
この SHOWDOWN!、バッキングは「もちろん」の Johnny B. Gayden、Casey Jones のコンビに、オルガンが Allen Batts っちゅう布陣でございます。
変わって AL-4744 はワタシは好きなんですが、世間的にはさほど通用してないのか、あまり名前を聞くことがない Jimmy Johnson の Bar Room Preacher でございます。
でも、実は自社制作ではなく、これまた「おフランス」のレーベル Black & Blue のために、パリの Sysmo Studios で録音され、Blue Phoenix BP 33.720、Heap See としてリリースされたものでした。
Alligator が付したクレジットを信じれば、カヴァー・デザインは Alligator でやり直したらしいので、オリジナルのジャケットはデザインが違っていた可能性があります(本来のオリジナルと同じ「かもしれない」Black & Blue からの 2002年再発の CD では、なんでか鉄道の駅構内と思われる情景をバックに 335 を弾く Jimmy Johnson のモノクローム写真が採用されています。ま、たぶんこれがオリジナルじゃないか、とは思うんですが・・・)。
ただ、じゃそのオリジナルっつうか、最初の Blue Phoenix盤 Heap See は「いつ」リリースされたのか?ってことでは、あちこちのサイトで記述が入り乱れ、あるとこじゃあ 1983年、またあるとこじゃあ 1987年(それじゃあ Alligator よりも後、ってことになっちまう?)と、多少の混乱がみられます。
もっともその Black & Blue レコードの Blue Phoenix レーベルを Alligator ではタイトルも変えてリリースしたワケですが、それを 1983年、としている資料も多く、なにやらかなり「混同」されているようで、「たぶん」フランスでは 1983年、そして Alligator からは 1985年!ってのが「信頼できそう」。かな?
1985年にリリースされた残り三枚は、いづれも現在はカタログから落とされている、おそらく Reggae?っちゅうアルバムが並んでおります。
しかしまあ、Alligator も、もうお前らに用は無い、みたいに一切「抹消」しちゃわないで、せめて、いったいどんなバンドで、どんな音楽をやってたのか?ぐらいは記録に残しといてくれてもよさそなもんだよねえ。
AL-8311; Pablo Moses Tension
AL-8312; V/A High Times All-Star Explosion
AL-8313; Joe Higgs Triumph!
ま、もっとも、これらの 8300 番台シリーズってのが、どっかの(ってのもシツレーだけど)マイナー・レーベルとの「時限」契約だったのかもしれませんけどね。
ま、そんなこと、よく調べもせんで軽々に決めつけちゃいけませんね。
おっと、よけいなことは言わんとこ・・・って、ん?どっかでよく目にしたフレーズだなあ。どこだっけ?
ところで、Alligator って、ブルース系では、アンソロジー、いわゆる V/A じゃ、通常の 4700 番台シリーズとは別に 7700 番台や、フェスティヴァルを収録した 9301 のようにシリアルを別立てにするんですが、この 8300 番台では 8310 にしろ 8312 にしろ V/A でも同じシリアルに組み込んでいます。
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1986
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・・・と、一見システマチックに振られてきたようにみえるシリアルが混乱する(?)のが翌1986年の AL-101、Genuine Houserockin' Music I でしょう。
ま、そこらへんの理由を推察するに、これまでの V/A は、テーマを持って、明らかにそのアンソロジーのために録音されたもので構成されているのに対し、この AL-101 では、ぜ〜んぶ、既存のアルバムからの「寄せ集め」、それもブルースだけじゃなく( Reggae こそ入ってないけど)「ミソもクソも一緒」てな、あからさまに「販売促進」をその第一目標にしたよな構成ですから、そこら一緒に 7700 番台にするワケにはいかん!てな矜持があったのやもしれませんねえ。
これは Alligator なりのスジの通し方だったのかも・・・
その AL-101、収録されているのは Koko Taylor、Albert Collins、Son Seals、Lonnie Brooks、Fenton Robinson、Jimmy Johnson、James Cotton に Hound Dog Taylor っちゅう顔ぶれの他に、ロニー・マック、ジョニー・ウィンター、ロイ・ブキャナンっちゅう白人ミュージシャン。
結局そのどれも、既に発売されているそれぞれのアルバムに入っている曲ばかりですから、(ま、そんなひとは滅多にいないでしょが)Alligator の全アルバムを買ってたよなひとは、これ買うと「全ダブ」になるワケですね。
1986年の通常シリーズ(?)のリリースは、AL-4745、なんと Clarence "Gatemouth" Brown の Pressure Cooker で幕を開けました。
とは言っても、これ、あの Buddy Guy 同様、実は「おフランス」の Black & Blue からのソースで、しかも実にリリース時から 13年も遡る 1973年の 3月から 8月にかけてパリの Barclay Studios および Buddy Guy 同様、ツールーズの Condorcet Studios で録音されたものでした。
だもんだから、まあ、その声の若いこと!まだ 49才のときの録音ですからねえ。
Jay McShann、Arnett Cobb、Milt Buckner なんていうジャズのミュージシャンをメインとするバッキングですから、とーぜんジャズっぽくなるワケでして、Ain't Nobody Here But Us Chicken なんて、なかなか「聴かせる」出来にはなっております。
ギターだって弾きまくってるしね。
続く AL-4746 は James Cotton の Live From Chicago - Mr. Superharp Himself です。
このアルバムはそのタイトルからも判るようにライヴ・レコーディングによるもので、場所はシカゴの Biddy Mulligan's、同年 2月の 1日から 3日にかけて録音されています。
ここで「ちょっとだけ」触れておくとすれば、後に AL-7707、THE NEW BLUEBLOODS にも収録されることとなる、ギターの Michael Coleman がバックのバンドリーダーとなってる、ってことかな?
次の AL-4747 はまたロイ・ブキャナンで Dancing on the Edge。ヴォーカルで Delbert McClinton、リズム( Alligator ではそうクレジットしてる)ギターに the Kinsey Report の Donald Kinsey!
AL-4748 はジョニー・ウィンターで 3rd Degree。こちらは相変わらず Johnny B. Gayden と Casey Jones がバック。
そして AL-4749 は Lil' Ed and the Blues Imperials の Roughhousin' が登場です。
そりゃ Hound Dog Taylor ほどではないにせよ、この Lil' Ed も Bruce Iglauer を大いに感心させたらしく、その最初のレコーディングはちょっとしたエピソードとして記されています。
この年の(注; Alligator のサイトではそれを 1988年としていますが、それじゃ「 1986年にリリース出来るワケはない」ので明らかに誤植でしょう)1月24日の夜、後に THE NEW BLUEBLOODS となるアンソロジーの制作のために新進あるいは若手ミュージシャンが Streetville Studios の第二スタジオ(ここでいう「スタジオ」は個別の「録音室」で、一方 Streetville Studios の Studios はそのような録音室を何室も持つ集合スタジオの意味で、なかにはミュージシャン用のアイソレーション・ブースを持たないトラックダウン専用室や、ナレーション専用ブースを持った小スタジオなどもある)に集合し、Lil' Ed とそのバンドは緊張しつつ、自分たちの番を待っていました。
やがて前のバンドの「録り」が終わって、彼らの番になり、なんたって録音スタジオに入るのが初めて、という連中でしたから、ちょっともたつきはしたものの、いざ音を出し始めたら、もう凄いノリノリで、スグに 5 曲がものになった!
そこで、こりゃもっとイケる!と判断した Bruce Iglauer は「どうだ?このままアルバムを録っちゃわないか?」ともちかけます。
午後 8時から午後 11時半まで「ノンストップ」で録り続け、もちろん、そこから生まれたのがこのアルバムだった、っちゅうワケ!もちろんその録音中、コントロール・ルーム側では Bruce Iglauer が彼らの演奏に合せて踊っていた!
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Year of
Rock'n'Roll?
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ところで、1986年ってのは、今更ながらって気がしないでもないですが、栄光の殿堂シリーズ(?)にロックンロールってのが出来て、ま、当然(?)かもってえ感じの顔ぶれが「殿堂入り」を果たしています。
いかにも、な Elvis Presley をはじめ Chuck Berry、Little Richard、Buddy Holly、Jerry Lee Lewis、The Everly Brothers、James Brown(!)、Ray Charles、Sam Cooke、Fats Domino、そして SUN の Sam Phillips・・・
という前フリがあって、さて Alligator の次のアルバムはってえと、また(?)ロニー・マックで Second Sight; AL-4750。
このアルバムの二曲目のタイトルが Rock And Roll Bones っていうんですが、聴くと「どこがロックンロール?」てな肩すかしを喰らいます。
ま、そこら「遺骨」なんでしょか、Bonesって?
ある友人はこのアルバム全体を評して「かったるい」と言っておりましたが、まあねー、ワタクシも「いや、これはだねキミ」なんて反論する気にもなれん、てなとこでしょか。
ブルースでもないし(あ、ブルースっぽい、とは言えるでしょが)、かと言ってロックとしてもプレゼンスが無い、てなこの手のポジションにいるミュージシャンって、ハンパにブルースを齧ってるよなロック・ファンからは「ブルース」と思われて、そこそこ支持もされてるんでしょが、「ちゃう」からね!
だから?と訊かれるとなんなんですけど、このアルバムのプロデュースには Bruce Iglauer が「まったく」参加しておりません・・・
続く AL-4751、Lonnie Brooks の Wound Up Tight ではめでたく(?)プロデュース席に Bruce Iglauer が復活いたします。
もちろん、そのことと直接カンケーあるかどうかは「?」ですが、その一曲目 Got Lucky Last Night じゃ、少し軽めながら、まさに「ろけんろー」でご機嫌伺いですねえ(もう一曲、 Musta' Been Dreamin' なんてのも、ちょっとカール・パーキンスみたいな感じで、初期の音スカスカな「ろけんろー」っぽい?)。
まこと、そこらが対照的で・・・あ、かと言って、このアルバム、全編がそんなワケじゃもちろんなくて、スローあり、ブーギあり、のまとも(でもないか・・・ End of the Rope なんて、あの Rainy Night In Georgia あたりの線を狙ったっちゅう感じだしね)なアルバムになっております。
ただ、アルバム・タイトル曲の Wound Up Tight なんて、ステディなブーギでエレクトリック・スライドが絡んでくるんですが、確かにそのあたりの「音作り」にはかなりロック色が強いかも。
そこら、このひとの場合だと、ロックに色目つかってる、なんて言われそうなんだけど、次のひとは別な意味で対照的だよねー。
確かに音的にはバリバリのバキュ〜ン(?)だけど、そしてある種のロックよりよっぽど「攻撃的」で、かつプレゼンスもあるけど、でも骨の髄までブルース(あ、異論がおありの方もいるでしょけどね)っちゅう存在・・・
AL-4752 は Albert Collins の Cold Snap!!
「血をみるど!」でお馴染み(?)の Cash Talkin' で「ついに」Johnny B. Gayden のスラッピングが炸裂!
そしてなにより重要なのは、このアルバムでは Albert Collins 本人が「だ〜い好き」なハモンドの Jimmy McGriff が参加してる、ってこと。
もっともそれは全曲ってワケじゃなく、Bending Like A Willow Tree、I Ain't Drunk、Too Many Dirty Dishes では Allen Batts ですけど。
また、サイド・ギターは Mel Brown、そしてドラムは Casey Jones から Morris Jennings に。
ま、なんと言ってもこのアルバムじゃ Lights Are On But Nobody's Home やら、みんなでツイキューが笑わせてくれる I Ain't Drunk、さらに Too Many Dirty Dishes なんてえ名曲が大放出されて(しかも Johnny B. Gayden ファンのワタシみたいなのには前述の Cash Talkin' なんて「たまらん」曲もありぃの!)、あの Honey Hush だけでも買う価値がある!っちゅう、ホームラン一発で一挙 4 点!みたいな AL-4713、Ice Pickin' とは対照的に、大小のヒットで得点を重ねた、みたいなアルバムで、これまた Collins マニア(?)にはたまりまへん。
さて次は?となると、ありゃりゃ〜? AL-3901?またアヤしいシリアルが登場ですねえ・・・と思ったら、ドクター・ジョンですよ。しかもこの Gumbo っての、1972年に Atco→Atlantic でリリースした P-8256A じゃん!・・・と思ったら、これも現在はカタログ落ちなのねん?
続くデルバート・マクリントンも今ではカタログ落ちしてて(ダマされて買ったドクター・ジョンはアナログ・ディスクの棚の隅でまだ生きながらえておったので現物でチェックできたけど)よー判りません。
たぶんロイ・ブキャナンのアルバムでヴォーカルをとったあたりで Alligator が認めたんじゃないか、と思うんですが、他社からのリースとかじゃなさそうなんだけど廃盤って・・・?
おっと、シリアルを記すの忘れてましたね。AL-3902Honky Tonkin' でございます。で、カンケーないけど、それをもろパクったんじゃあ?ってタイトル、Honky Tonk 'n' Blues ってえアルバムも(他社から)出してたハズ。
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1987
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1987年という年は、ワタクシが考えるに Alligator にとっても「ブルースそのもの」にとっても重要な音群が「浮上した」年だったのではないでしょうか。
それは、およそ 1980年代に入ってから地元のクラブ・シーンなどでは頭角を表して来ていたものの、全国的にはほとんど無名の、しかし才能に溢れた新しい世代のブルースマンたちを Bruce Iglauer のプロデュースで「集めた」ある種、先駆的・冒険的とも言えるアンソロジー、AL-7707 THE NEW BLUEBLOODS でした。
そして当然ながら、そこに収録されているのは、すべて黒人がフロントをとるテイクのみ!
ホント、当たり前のことだけど、そこらにだらしない「自称ブルースファン」におもねって白人ミュージシャンなんぞを混ぜたりしなかったのはエラいっ!
あ、でも、なによりもこのアルバムで特筆に値いするのは Dion Payton のヒット、All Your Affection Is Gone の存在でしょう。
およそ 1950年代、あるいは 1960年代のシカゴ・ブルースを「神聖視」し、マディの悪口こくバカものには徹底的に聖戦をしかける C.B.F.=シカゴ・ブルース・ファンダメンタリストのみなさまには「ゼッタイ!」に認められることはないでしょうが、「現実のシカゴ」では、特に若い世代のブルースファンに熱狂的に支持され、Michael Burks などによっても採り上げられるなど、ある意味、1980年代後半以降のシカゴのライヴ・シーンを席巻する「音」となって行きます。
まあ、特にここ日本では「シカゴ」と言うと「チェス!」ってえ声が返ってくる、っちゅう「常識」が出来ておりますから、この All Your Affection Is Gone が「まともに」認められるワケなぞなく、「これじゃロックだ!」なんて反応がほとんどだったようで・・・
ただ、この Dion Payton、これだけの才能がありながら、ナゼかいまだにソロ・アルバムは一枚も無いんですねえ。
もしかすっと、意外と気難しくて、どこも条件が折り合わなかったりなんかして・・・?
もちろん、別に引退しちゃったワケじゃなく、現に 2005年の Iowa 州 Sioux City で行われたフェスティヴァル、Saturday in the Park では Dion Payton and the 43rd Street Blues Band が出演しております。おそらく、ここでも All Your Affection Is Gone の「あの」音が鳴り出した瞬間、場内は「沸騰」したことでございましょう。
・・・と、アルバムの収録順を無視してトバしちゃいましたねえ。いかんいかん、え〜と、それではひとつっつ。
まず最初は、Albert King のバッキングからレゲエのピーター・トッシュ、そしてボブ・マーリィのバックも経験した「武者修行(?)」を活かし、独自の表現力を獲得した Donald Kinsey が率いる the Kinsey Report。
Kenneth Kinsey のシンコペート気味のベースからしてファンク系の「喰い方」とは違った、むしろロック寄りなテイストがありますが、ギターの「飛び」具合じゃやはり Dion Payton には負けてますねえ。
続いての Valerie Wellington は直前の 1984年にすでに Million Dollar $ecret をリリースして、もはやある程度は知られておりましたから、「ただの」新人とは言えないのではございますが、なんたって、ここでのピアノがあのアリヨ、有吉須美人で、しかもベースも Nick Charles ですからねえ。ま、地域限定ネタとは言え(?)青森では二年続けてフェスティヴァルに来た二人が入っとるワケで。
あ、Valerie の歌だって(ウマ過ぎるけど)なかなかいいですよ。
日本にも来ていますし、1992年にはアルバム Life In The Big City をリリース。またこの年には TVショウ Blues Goin' On にも出演、その時の録画は Oprah Winfrey's Harpoという媒体が保有しているらしいのですが、そのサプライ面は不明です。
そして 1993年(一部のサイトで 1991年に死亡、としてるのを見かけましたが、じゃあ Blues Goin' Onに出てたのは「亡霊」?) 1月 2日、Illinois州 Maywoodで、脳動脈瘤破裂に伴う「くも膜下出血」で、わずか 33才の若さで急死してしまった悲劇のヒロイン・・・
そして「待ってました!」の Dion Payton!あのアタマの音を聴いただけで、もう自分のカラダの生体活性がアップしちゃうよな、このワクワク感!いやもう、この住宅事情の悪い日本ではなかなか難しいかとは思いますが、出来ることなら、お宅のオーディオが許す限りの大音量で(!)こいつの洗礼を浴びてくだされ。
次ぎの The Sons of Blues / Chi-Town Hustlers ですが、ここでの The Sons of Blues は名前は一緒でも、二年連続で青森に来た「現在の」S.O.B.とはメンバーが異なり、ギターが Carl Weathersby 時代のものです。
Sons of Blues 自体の起源を辿ると、1977年の Berlin Jazz Festivalに 、Jim O'Nealが委任されてブルースの若手を送り出すことになり、13人のメンバー( James Kinds、Dead Eye Norris、Bombay Carter、Harmonica Hinds、Vernon Harrington なども含む)が選出されたのですが、その中から、自然に Freddie Dixonをベースに、そしてギターについては Jim O'Nealの薦めで Lurrie Bell、そしてドラマーには Clifton Jamesの息子、Garland Whitesideを据えてでスタートした、このユニットこそが The Sons of Bluesの出発点だったようです(ただし、その後ドラムが Jeff Ruffinに替わっております)。
つまり Billy Branch以外はみな、ブルースマンの息子だったため、Sons of Blues と称することになった、と。
アメリカに帰ってきてからは小規模なギグをこなし始めたようですが、そのさなかに Lurrie Bellがバンドを去り、急遽 John Watkins をギターに据え、また Johnny B. Moore も一時いっしょにやってたこともあったようです。
John Watkinsもまたやがてバンドを去り( because he was a leader himself.─ by Billy )メンバーはいくつかの変遷を経て行くことになるのですが、ギターの Carlos Johnson が抜けた後に Carl Wearhersby が入った時点でこの録音が行われています。
この録音では J. W. Wilkinsの Chi-Town Hustlers と Sons of Blues の合体(?)で収録されておりますが、ここでのヴォーカルは J. W. Wilkins で Billy Branch ではありません。
かわっては Professor's Blues Review Featuring Gloria Hardiman ですが、実は、このアルバム THE NEW BLUEBLOODS 中、最も良くリクエストされた曲らしいんですねえ。
実際、この Meet Me With Your Black Drawers On は 1987年のトップ 40に入っているのですから、これはなかなかの健闘、と言えるでしょう。
Gloria Hardiman はゴスペル出身シンガーらしいのですが、彼女のヴォーカルがまた、クール&ドライでキレのいいこと!
この一瞬、Fever の Peggy Lee を思い出させるよな、粘着性の少ない突き放すよな距離感、ただもんじゃありません。
いったんバンドを作ったのが内紛から解散し、しばらくセンプクしてたのが、また活動を開始した、とかいうウワサもあるので今後が楽しみです。
ところで、この Professor's Blues Review ってのは、教会の牧師の息子として生まれ、クラブで演奏をするようになるまでは教会で伴奏をしてたという Professor Eddie Lusk が率いるバンド名で、ここでは Gloria Hardiman ですが、後に Delmark に入れたアルバムでは Karen Carroll をヴォーカリストとして採用しています。ただ、1992年に亡くなってるんですよね、この Professor・・・
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NEW BLLOD
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続いては The Sons of Blues のところでも触れた John Watkins です。
彼のヴォーカルとギターをメインに、もうひとりのギターは彼の叔父さんでもある Jimmy Johnson。
ピアノは St. James Bryant、ベースが Larry Exum、ドラム Fred Grady。
John Watkinsの資料ですが、いまのとこ、めぼしいものには出会っておりません。
これも Alligatorの The New Bluebloodsのライナーによれば、サウスサイドの(いまはなき) Theresa's Loungeの「影」の中からミュージック・シーンに登場して来たのが 33才の時で、それまで Theresa's Loungeのハウス・バンドに所属していたようですが、1973年には Willie Dixonのギタリストとして、以後 7年間を勤めたそうですから、John Watkins と Billy Branch は「同時に」 Willie Dixonのバンドに在籍してた期間があるんじゃないでしょか?それが彼の S.O.B.入りにつながったんでしょね。
1984年にはフランス・ツアー中に例の Black & Blue にレコーディングし Blue Phoenix レーベルから Here I Am というアルバムもリリースしています。
で、John Watkins さんですが、実は1991年に来日しているんですよ。
ルイス・マイヤース&ニュー・エイシズという怪しいバンドで。
「オレはブルースを演奏するけど、一つのスタイルに押し込めて欲しくないね」
「いつもヴァーサタイルでありたい」
と申しておりました。
1953年シカゴ生まれ。
ドラマーとしてスタートしたけど、そのドラムは「なんとか・ユース・ファウンデーション・センター」とか言うところで学んだそうです。
とにかく、ブラック・コミュニティで子供達にポジティブな活動を奨励している団体です。
その時、James Brownのバックを務めたって自慢してたっけ。
というのは、江戸川スリムさまから寄せられた情報でございます。
Alligator の資料では、1980年代末に Detroit に移り、ギターを置いて Day job に就いた・・・となっておりますが、ちゃんと 1991年には「ミュージシャンとして」来日してるとこみると、まだヤル気はあるのかも・・・
Michael Coleman は、ま、強いて言えば、他の New Age(?) Bluesに比べると、なんだか本質的なとこで「オールド・スクール」っぽい、っちゅうか、それこそ James Cotton のあのライヴが当時持ってた「新しさ」みたいなものがそのまま残ってるよな、つまり、あまり年代で語るのは好きではないのですが、'70年代サウンドと '80年代サウンドの違いっつうか・・・
そりゃ、さすが James Cottonのバックにいただけあって、とても完成度は高いし、アレンジのツボも心得てるって感じはするのですが、それが逆に、そっからハミ出しちゃってる(?) Dion Payton やら Kinsey Report なんかとは根本的に違う、いまひとつ「破壊的な(?)」魅力に欠ける、なんて言ったら「酷」でしょか?
ギターもヴォーカルも、相当なスキルに裏打ちされた、文句のつけようがない仕上がりを見せているのですが、なんだか、それがこのアルバム全体として見た場合、彼をいまひとつ埋没させてしまっている原因なのではないか?てなふうに感じてしまいます。
つまり、キツいことを言うようですが、「言いたいこと」が、持っているスキルを上回っている、というある種のアンバランスな状態のみが持ち得るパワーってものが、彼のこの曲には「欠けている」と言うのでしょうか、なにかいまひとつ「溢れ出してくるもの」が無い、と。
もちろん、それは、前述の Dion Paytonなどの音の後で聴くから、ってのが大きいワケで、おそらく Alligatorじゃなく、2000年に吹き込んだ Delmarkの Do Your Thing! あたりを聴くとまた違ってくるのかもしれませんね。
彼の凄い来歴─1956年、Chicagoのウエストサイドで生まれ、父が Junior Parker のバックでドラムを叩いていたそうで、8才ですでにギターを弾き、11才のときには Johnny Christian をヴォーカルに据えてバンド活動を開始。1979年からは James Cottonのバンドに参加して Alligator でのアルバム二枚に付き合い、さらに Junior Wells や Carey Bell、さらに Billy Branch や(って、ここまで全部ハーピストなんですねえ)Syl Johnson とも共演し、特に Syl Johnson についてはその 1982年のヒット、Ms. Fine Brown Frame でもバッキングを務めているよう ─ なんてとこからしても、やはりメイン・ストリーム(というか、やはり「オールド・スクール」か?)どっぷりのブルースマンってことは言えるようです。
その後何度かのヨーロッパ・ツアーの際に、録音されたアルバムもあるようですが、2000年には Delmark でアルバムを残しています。
さて次の Maurice John Vaughn ですが、ちょっと面白い存在と言えるかもしれません。
つまり、ヴォーカル、ギター(まあ、ここまでは当たり前・・・)の他に「サックス・プレイヤー」でもある!んですねえ。ですからそのへんの多彩さは Lucky Peterson あたりとも共通してるのかもしれません。
このひともまたシカゴ生まれ( 1952年)で、サウスサイドの Juliet Low grade school に在学している時に、ドラム、ギター、そしてクラリネットを演奏し始め、スクール・バンドに所属していたようです。
1968年からはジャズのトリオに入り、サックスに集中しました。その延長として、1976年には Chosen Fewという R&Bグループのサックスのパートで、Chi-Sound Records に初のレコーディングを経験していますが、やがてサックスでの仕事が無くなって来たところで 1979年に、Buddy Guy の弟、Phil' Guy に誘われてそのツアー・バンドに加わります。
1984年(異説:1986年)には自らのレーベル、Reecy を立ち上げ、アルバムGeneric Blues Album をリリースしています(これを Bruce Iglauer が聴いたことで、この THE NEW BLUEBLOOD の録音につながった、とされています。同アルバムは 1988年、Alligatorから発売)。
この Nothing Left To Believe は、1987年の録音で、その後 Les Paul Signature を抱えたジャケットの In the Shadow of the City を 1993年にリリース。2001年にはDangerous Road を Blue Suit からリリースしています。
かわっては、Melvin Taylor and the Slack Band。
この Melvin Taylor だけじゃなく、Dion Payton、Kinsey Report あたりにも共通した、ロックからのフィード・バックじゃあ?って感じのややアグレッシヴなギターと、スムースなヴォーカルのマッチングが、やはり、「時代の音」でしょう。
Depression Blues も、Gm からのマイナー・ブルース( 9小節目からは B♭→ C という進行)ってえ味を活かして、ギターが歌いまくります。
2003年 9月の Blues Year で六本木ヒルズに来たときには、一見 Gibson 335 みたいなセミアコだけど、ちゃうメーカーのギターを弾いてましたが、この曲の音はもっと「ソリッドっぽい」よな気が?
1994年のBlues On The Run じゃローズ・ネックのストラト使ってるし、1995年のジャケットじゃ、Guild Starfire と、Gretscheのセミアコを持ってる画像がありました。
ただ、ワタクシの受けた印象だけで言っちゃうと、この曲で使ってるの、Les Paulじゃないのかなあ?って感じの音でございますよ。でも、その画像は見たことないんで、やはり、あのメーカー不詳の 335 タイプの音なのかもしれませんが。
2002.10.23の画像じゃあまたストラト(今度はゴールドのボディにメイプル・ネック)持ってますね。
Melvin Taylor は 1959年 3月13日、Mississippi 州の Jackson で生まれ 3才になった 1962年に一家で Chicago に出てきています。
母の兄弟で Floyd Vaughnってひとが彼にギターを教えてくれたようで、12才にしてすでに、クラブで他のミュージシャンに伍して演奏していたそうです。
おおよその基本はその叔父さんから学んではいたようですが、スライド・プレイやフィンガー・ピッキングなど、様々な技巧は B.B.や Albert King、Jimi Hendrix など、偉大な先達(?)たちの作品を聴くことで身につけていったみたいです。
ただ、彼の 10代は、1970年代のポップスがレパートリィだったといいますから、そのヘンも彼の個性の一部を作り上げているんでしょう.
そのバンド the Transistors は 1980年代に入って分解してしまい、Melvin Taylor は Chicago のブルース・クラブに帰ってきました。
そして、それに合わせたかのように、Pinetop Perkins が、ヨーロッパ・ツアーに同行してくれそうなギタリストを探していたので彼はそこに加わり、おかげで彼の名前は当初、ヨーロッパで知られるようになったのでした。
やがて、その名に目をつけて、彼にもいちどバンドを組ませて、完成したパッケージに仕立てよう、という動きが出てきます。つまり、the Transistors を再結成させてブッキングを開始しよう、ってワケですね。
初期の二枚のアルバムBlues on the Run ( 1982 )と Plays the Blues for You ( 1984 )では、バックがその the Transistors のようです。
つづいて、そのような興行サイドのニーズではなく、自らのヴィジョンを優先した Real Own Band、the Slack Band を結成し、ウエスト・サイドのクラブ、Rosa's Lounge をベースに活動を開始しています。
そして 1995年の Melvin Taylor & the Slack Band は商業的にも大きな成功になりました。
さらに、2003年には Blues Year で六本木ヒルズにも登場しておりますから、すでにご存知の方も多いことでしょう。
ただ、このひとのアルバムは、フランスの Isabel 以外(って結局それも獲得するのですが)すべて Evidence からリリースされており、Alligator ではこの一曲のみです。
そして最後に控えしは、すでにそのエピソードを紹介しちゃった Lil' Ed and the Blues Imperials でございます。また同じハナシを繰り返すのもなんですから、この THE NEW BLUEBLOODS についちゃあ、このへんで!
・・・しっかし、それにしても、このアルバムについちゃあ「語りたく」なりますねえ。
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Nightcats
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いろんな意味での「大作」THE NEW BLUEBLOODS でちょと息切れしかけたけど、気をとりなおして通常レンジのアルバムの紹介です。
1987年の AL-4753、Little Charlie and the Nightcats による All the Way Crazy ってのは、実はちょっと毛色が変わっております。
まずこの連中は Sacrament を中心に活動する「白人だけ」からなる四人編成のバンドで、基本はダンス・バンドってとこなんでしょうが Alligator では Blues, swing and jump master と紹介していますねえ。
ダミった低重心なブーギの上に、いかにも白人っちゅう「ロカビリー」のヴォーカルをのっけたような TV Crazy で始まるそのサウンドは、しかし基本はやはり「ろけんろー」、それも舌先系のカラ元気っぽいダンサブルなナンバーがメインで、それだけにパーティなんかじゃ、彼らが出る、となれば踊りたいやつらが詰めかける、ってのも判るよな気はいたします。
でも、こー言っちゃなんですが、Living Hand to Mouth、Suicide Blues あたりのナンバーじゃ、ジョニー・ウィンターよりもよっぽど「ブルースを感じる」なあ。
・・・そんなこと言ってるアホは私だけなんでしょね、きっと。
ま、だからと言って、これを Alligator でリリースする必然があったのか?なんてことになると、そりゃね、埋もれていた才能を発掘してくる、っちゅう「期待される Alligator 像」ってとっからはハズレているかもしんないけど、Alligator だってショーバイですから、「売れる」タマは多いにこしたことはないワケで、このよーな存在がまた、海のもんとも山のもんともつかない(?)無名ブルースマンに「賭け」に出る際の余裕につながる、と・・・
ワタクシはこのひとたちの存在すら、こーやって Alligator Tales を書き始めるまでま〜ったく知りませんでしたが、いやいや、その後も「どっちゃり」アルバムをリリースしてますからねえ。かなりその売り上げで会社の経営健全化に貢献してるのかもしれませんよ。
変わっての AL-4754 は Koko Taylor の 1987年 1月の 8日から10日にかけて Illinois 州 Berwyn にある FitzGerald's に出演した際のライヴ録音ですが、え?それなのに Live From Chicago たあ不当表示じゃねえか、って?
いえいえ、そこら三鷹市のライヴハウスで録音しても LIVE in TOKYO って言うのと同じよなもんで、シカゴの郊外みたいなもんですから。
「ライヴ in 三鷹」で判るのは東京周辺のひとだけでしょ?それと一緒。
ここでの I'd Rather Go Blind、またまたずっしりと「重く」仕上がっておりますねえ。
もちろん、そこら好みの別れるところでもありますが。
この Koko Taylor の Live from Chicago には - An Audience with the Queen、というサブ・タイトルがついておりましたが、次の AL-4755 もまた Live from Chicago をタイトルとし、サブとして - Bigger Than Life! が振られています。
そ、以前、ワタクシに冷たくあしらわれた Big Twist and the Mellow Fellows のライヴ盤でございます。
まあねー、聴いてみると演奏のレヴェルは高いし、ツボは心得てるし、まっことソツのない仕上がりではあるのですが、なんでかワタクシには「なにひとつ」訴えかけてくるものが感じられません。
どうも、この手の音楽ってのに Sly and the Family Stone のような期待をしてしまってるのか、どの曲も一緒の一本調子(あ、そーワタシは感じる、ってだけで、そんなことはないんでしょうが)、つまらなくってしょーがないんですよ。
そこ行くと Sly and the Family Stone のライヴなんて、まあ「どシロート」の集まりっちゅうか、バランスは悪いし、キメもボロボロだったりするんですが、でもそのコンセプトが「ただもんじゃない」ってとこで圧倒してくれるんですが、そのヘン、この Mellow Fellows じゃあ、確かにウマいことはウマいけど唄ってるのは「ありきたりな」世界、ってとこなんでしょね。
う〜ん、ワタシにはこいつらの良さ、なんて永久に判りそもない・・・
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MORE BLOOD
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ところで 1987年って、あの Aretha Franklin が女性としては初の The Rock and Roll Hall of Fame 殿堂入りを果たした年だったんですよね。
ん〜、ロックンロールかあ・・・で、ついでと言っちゃあなんですが、B.B.にマディも、なんですよね。
さて、AL-4756 は、またまたロイ・ブキャナンで Hot Wire。
ま、これに収録されているなかでは、あの Otis Redding の These Arms of Mine を Kanika Kress(シカゴの女性ブルース・ギタリスト。自らのバンド the Blues Express を率いていた。1993年、シカゴで 39才の若さで死亡。現在、西海岸で放送メディアに勤めている某イラン系アメリカ人女性によると、彼女がアメリカの「創価学会(!)」入りを「薦めてくれた」らしい・・・)が唄っているトラックが、その真摯なヴォーカルでちょっと心惹かれますが、あとはいつもの(?)ギター・テクニック見本市。
ロイ・ブキャナンについては「世界最高の無名ギタリスト」なんて形容を目にして吹き出したことがありましたが、所詮、ギタリストとしちゃスゴいかもしんないけど、ミュージシャンとしちゃ「論外」ってことかな?
でも「ギターの音」オタクには根強い人気があるみたいで・・・
もひとつつけ加えるとすれば、サイドとして Donald Kinsey が参加しています。
次の AL-4757 もワタクシ個人の好みからは「どこがいいんだか判らない」A.C. Reed の I'm in the Wrong Business!。
うん、まさにタイトルどおりだ!
・・・なんちて、それだけで斬り捨てちゃうのもなんですから、もーちょっと言っとくと、サイドは「充実(?)」してます。ボニー・レイットにスティーヴィー・レイ。
ま、だからどう、ってことはないでしょが、これ、Bruce Iglauer は録音現場でのプロデュースには加わっておらず、マスターからのリミックス時点で介入しただけ。
さあ、続いては、やっと語るに足るアルバム、Kinsey Report の AL-4758、Edge of the City の登場です。
一曲目 Poor Man's Releif から、やや軽いながらもファンクがかったリズムで斬り込んできますが、ウルチャい方なら「んっ?」と気付かれるでしょね。
そのベースは、「もろブラザー系のファンク・ベース」ではなく、それを面白い、と感じて「採用」しちゃったロック・ベーシストの弾く「ファンク系ベース」てな香りがプンプンいたしますねえ。
ま、どこが?っちゅうと、こんな言い方じゃかえってワケ判らんかもしれませんが「凶悪さ」に欠けてる、っちゅうか、いいひと過ぎる、ってな感じかな?ま、そこらラリー・グラハムなんぞを比較のタイショーにしとるワタクシのほーが「間違っとる」のかもしれませんが。
でも、もろブルースっぽい Give Me What I Want なんてナンバーでは、このベースが実にいい距離感を演出してくれますね。
もっともこのアルバムでは以前 BLUES Diary で採り上げた Corner of the Blanket や Full Moon on Main Street、The Game of Love なんてえナンバーで、さすが、あっちこっちで武者修行(?)をしてきただけのことはあるわい、ってな Donald Kinsey のギターが、実によく歌っております。
ただ、この Donald Kinsey のヴォーカルそのものはアップ・テンポのナンバーではいささか表層的に流れる傾向があって、むしろじっくりと行くスローでその良さが活きているような気がしますけどね。
この Kinsey Report は THE NEW BLUEBLOODS でも Corner of the Blanket が収録されておりましたが、こうしてソロ・アルバムで聴くといっそうその個性が鮮明になります。
おりしもこの 1987年に死んだピーター・トッシュやボブ・マーリィなどとの仕事は、やはりブルース純粋培養(なんてミュージシャンはいまどきいないでしょうが)じゃない独特の「ふくらみ」を Donald Kinsey に与えたようで、とかく「先細りの伝統芸」化しやすいブルースに「新たな血」を導入することとなった、と言えるのでしょうが、モチロンここでもシカゴ・ブルース・ファンダメンタリストたちからは冷たい視線を浴びせられることに・・・
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OEM?
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さて、1985年の前作までは確かに AL-47XX というブルース「扱い」だったハズのロニー・マックでしたが、この 1987年にはナゼか AL-3903 っちゅうドクター・ジョンやデルバート・マクリントンと同じグループに配属変えさせられちゃってます。
それはなんでか?ってえと、実はこれ、新録じゃなく、1986年のドクター・ジョンの Gumbo 同様に他社に以前吹き込まれたもののリイシューだからなんですねえ。
したがってこのロニー・マックの場合も事情は同じで、実は 1963年11月リリースの Fraternity 原盤(当時はまだ Lonnie McIntosh だったものを Memphis のリリースに合せて Mack とした、とされています。この Memphis は全米チャートの 5位にまで達しました)FS-1014、The Wham of That Memphis Man!をリイシューしたものとなっております。
Alligator の HP では、その Complete Discography から、すでに「落とされて」いるため、一切の記事が抹消されており、どんなジャケット・デザインだったのか知ることは出来ませんでしたが、後に CD 化したイギリス ACE(オリジナルの Fraternity FS-1014 の 11曲に未発表の 13曲を付け足したもの)CDCHD-713、Memphis Wham! のジャケットが Alligator 盤と同じ(という保証はまったくありませんが)だとすると、メンバーは 5人で、サックス奏者だけが黒人のようです。
で、こんなこと言うとただの意地悪じじいみたいですが、ハッキリ言って 1980年代のロニー・マックより、この 1963年の、「ゆるゆるのヴェンチャーズ」みたいな音のほが「面白い!」
ま、これは Alligator 盤には入っていなかったのですが、なんでかビートルズの From Me To You まで(インストで)やってて、そのユルさに思わず笑ってしまいましたよ。
あ、蛇足ながらロニー・マックはん、このあたりからすでにフライング V(おそらくコリーナ?)使ってたようですねえ。
ところで、このロニー・マックの Memphis をリリースした Fraternity Records って、実は Ohio 州 Cincinnati の会社なんですねえ・・・
そ!Bruce Iglauer の「生まれた街」なんですよ。
そこでちょうど 15才の多感な少年時代を送っていた(・・・なんて勝手に言ってますが、ホントかどうかは「?」)Bruce Iglauer にとって、この曲と、それを演奏していたロニー・マックっちゅう名前が深く刻み込まれたのでは・・・なんてえ可能性も無いとは言えませんわな。
ま、それが Alligator がロニー・マックを出し続ける理由だ!なんてことまでは言いませんが(って充分、言ってるよなもんか?)。
続いての AL-3903(これもまた既にカタログ落ちでございます)、ドクター・ジョンの Gris Gris もまた 1968年の古い(というか彼自身の初リーダー・アルバムらしい・・・ホントはレコーディング・セッションでフロントを務めるハズだったヴォーカルの Ronnie Barron が来ることが出来なくなり、仕方なく「自分が」ドクター・ジョン、というキャラになったのだそうで・・・ Atco 原盤)アルバムのリイシューとなります。
Gumbo に比べると、もうちょっとエスニック風味がキツく、そこに Voodoo のアヤしさを突っ込んだみたいなこのアルバム、やはり同じ Voodoo 系(?)でも、真底「おちゃらけ」てる Screamin' Jay Hawkins の世界(??)とはおー違いでして、なんだかマジメにやってますねえ。ま、そこらがワタクシにとっちゃあイマイチな理由なんでしょが。
やっぱニュー・オーリンズと来たら Huey Smith みたくパッパラパーなのが「いい」なあ。あ、でも当時、こんなアルバムに興味を持って買いそなのって変にマジメくさった白人のほうが多かったでしょから、ヒョっとして Ronnie Barron が楽しく歌っちゃってたら、こんなに売れはしなかったかも?
1987年にはこの他に、例のセールス目的(?)の寄せ集めオムニバスの二匹目の泥鰌、Genuine Houserockin' Music II もリリースされております。
収録されているのはもちろん既にリリースされている各アーティストのアルバムからの摘み喰いですから、これでなきゃ聴けない、っちゅー楽曲はひとつもありません。
ま、そこら、たった一曲のためにアルバム買うしかないのかよ〜!なんていう「よくある手口」よりはマシっちゅう考え方は出来ますね。
収録されたのは Albert Collins の I Ain't Drunk、Lil' Ed で Pride and Joy、Koko Taylor は I'd Rather Go Blind、Kinsey Report の Corner of the Blanket、"Gatemouth" Brown の Pressure Cooker など。
他にも Professor Longhair、James Cotton、Buddy Guy などなど・・・
前にも言いましたが、すべてそれぞれのアルバムには収録された曲ばかりで、しかも別にこれ、と言ったテーマもなく集められたセレクトは、逆にその時々の Alligator の「興味のありかた」をある意味ストレートに表現している、と解釈することが出来るかもしれません。
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1988
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年が変わって 1988年、しょっぱなは Alligator が 1987年から「シリーズ化」をもくろんでおるかのような共通タイトル、Live From Chicago を前半に持つ Lonnie Brooks の Live from Chicago - Bayou Lightning Strikes、AL-4759で始まりました。
Live from Chicago とあるとおり、これは 1987年11月 5日から 7日にかけて、2519 N Halsted の B.L.U.E.S.でのライヴなどを編集して収録したものです。
全体にはライヴっちゅうことで勢いを活かした曲が多いのですが、なかで In the Dark、このマイナー系スロー・ブルースが独特な「空気感」で光ってますねえ。もちろん、お客さんも一緒になって「 Eyeballin'!」と唱和してくれる楽しいナンバーもいいのですが、それだけにいっそう、こんなシットリしたのが惹き立つってえもんでしょ。
それとここでは多分ストラト系ギターを使用しているらしく、そのフェイズアウト・トーンがなかなかいい!
ジャケットの写真では一見ストラトにボディ・カヴァー、のように見えますが、画像をディジタル処理してそのヘッドを見ると(→)
どうも、この平面形は Fender じゃなく、ヒョっとして Suhr Guitars じゃないか?ってえ気がするのですが・・・
またシールドが Jaguar や Jazzmaster みたくピック・ガードから出ているようにも見えますが、これはその手前にある違うものとカブってるだけ、っちゅう可能性もあり、なんとも言えませんね。
なお、サイド・ギターに息子の Ronnie Baker Brooks( Lonnie Brooks ってのが実は「芸名」で、本名は Lee Baker Jr.)も参加しています。
さて、次なんですけどね、別にイバるワケじゃありませんが、このひとたち、まぁ〜ったく知りません。なんですか 1960年代に白人の大学生二人がブルースに目覚めてグループを結成し、ついには 1966年に Vanguard と契約するほどになったらしいんですが、そのバンドがいったん消滅し、それが 1987年に「再結成」してシカゴの Vic Theatre でライヴをやったらしいんですが、その模様を記録したアルバムのようでございます。
さすが白人、ってなヴォーカルで、最初の曲なんて 1950年代の Memphis あたりの「軽い」ロカビリー的なテイストまで感じちゃいますが、まあ、白人のブルース・ファンにはウケるのかもしれんな、てな音ではございますよ。
このシーゲル=シュウォールのコンビにバックとしてベースに Rollo Radford、ドラムには Sam Lay がついてリズムは「いい」ですね。
フロント二人は、って?・・・う〜ん。
聴いてみて「いい」と思う方がおられるから、こうやってリリースされてるワケでしょうしね。
AL-4760、Reunion Concert。ま、これもライヴだけど、上の Lonnie Brooks などと同じ Live from Chicago - っちゅうフォーマットにしなかったとこに Alligator の良識を感じますなあ・・・
ところで、次の AL-4761、Disturbing the Place もまた白人なんですねえ。
ただ、このリトル・チャーリー&ザ・ナイトキャッツはハナからライトなロックンロールのバンドですから、別にこれはこれでいい、てなもんで「それなりに」楽しめちゃうんですけど。
あ、タイトルだけ見ると、かってのウェストコースト系の「ホットロッド」かいな?てなナンバー、V-8 Ford ってのが、なかなかにニュアンスのあるハープをじっくりと聴かせてくれる、スロー・ブルースっぽい仕上がりでけっこうイケてます。
ところで直接はカンケー無いハナシではありますが、このライナーに載っているジョン・リーがチャーリーのギターについて評した談話(?)「そのギターはヤバ過ぎるぜ。監獄行きだな」ってのはいったいなんなんでしょね?なに素っ頓狂なことぬかしけつかんねんモーロ・・・うっぷす、な、なにをおっしゃいますやら、このじいさんは、でございますよ。
さらにダメ押しするがごとく、次の AL-4762、Years Since Yesterday ってのもまた白人でございます。
そしてこれまたワタクシ、その存在すら知らんかった、てなグループでして、ジャケットを見るとストレイキャッツみたいなん?てな感じですが、それだけじゃなく、もうちょい「重め」のサウンドも持ってるようで、クリシェとしてはむしろブルースに近いものがあるかも。
ただ、この San Diego のグループ、the Paladins のプロデュースにはいっさい Bruce Iglauer は関与しておりません。録音からミックスダウンまで、すべてウェストコーストで行われた音源のようでございます。
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Generic Blues?
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続いての AL-4763、やっと Back to Blues!でございますねえ。
Maurice John Vaughn、そ!あの THE NEW BLUEBLOODS で登場したヴォーカル、ギター、そしてサックス、っちゅうブルースマンですね。
このアルバム Generic Blues Album ではやはり 1960年代あたりまでの密着感、あるいは肉迫感のあるブルースとは少し違う、独特の距離感を特にそのヴォーカルに感じるような気がいたします。
まあ、そりゃ考え過ぎだよ、と言われるかもしれませんが、どことなく、いま、このシカゴでブルースをやることの意義は?みたいな「内省的な」視点、てなものをそこに嗅ぎ取ってしまうのはワタシのハナがヘンなんでしょね、きっと。
さて、最近の日本では「ジェネリック」言うたら「医薬品」と相場は決まっとりますが、ここでの Generic は、「商標登録されてない」、つまり「無印」っちゅう意味で使うとるんじゃないでしょか。
『無印 ブルース・アルバム』?
ずいぶんケンキョですねえ。
そこらヴォーカルの「一歩引き」気味のとこにも共通してるのかも・・・
ただ、ギターは充分に活躍してますね。
たぶんストラトではないか?と思うんですが(以前、日記で採り上げたときにも書いていますが、1993年のアルバム、In the Shadow of the City では、どうやら Gibson Les Paul Signature (→)っていう弦の延長線で切ったとすると上半分は 335、下半分が Les Paul っちゅう、まことにムリヤリながら、ミョーに魅力的なギターを使ってるようです。ここではたぶんストラトでは?っちゅう音に聞こえますが、この Signature だとフェイズ Sw.やインピーダンス切り替えなどを搭載してるので、こんな音が出るのかもしれません。特に Computor Took My Job での音なんて、なんだか Fender 離れしてるよな気が・・・)ワタクシ好みのフェイズアウト系のトーンはけっこうウェットなのに粘りつかない適度なテンションで聴きやすいなあ。
かなりウルフを意識してる?ってえヴォーカルの Generic Blues では Zora Young も参加しています。
なお、この録音はすべて彼自身が所有する Reecy Records で 1986年に行われ( 1984年とした資料もある・・・)、もちろんセルフ・プロデュースでの「完成品」が Alligator から出されたワケですから Bruce Iglauer の手は入っておりません。
かわっての AL-4764 は Kenny Neal の Big News from Baton Rouge!!。
ワタクシなんぞは、Billy Branch と一緒に吹き込んだあの名曲、かってシカゴにバンド・ブルースの芽が出てきたあたり、まさにその黎明期に、Little Walter と Othum Brown によって録音された I Just Keep Lovin' Her を現代に蘇らせたテイクが非常に強い印象を残しているために、ついついギターとしての認識が先行しがちなのですが、このアルバムでは歌の凄さにも驚きます。
なんだか歌を扱う自由度、なんてあたりじゃあ、かっての Little Milton をホーフツとさせるとこもあって(なんて思ってるのはワタシだけかもしれませんが)、こりゃただもんじゃないっ!てな感じがひしひし、でございますよ。
そこら「ブルースマン」を父( Raful Neal!)に持った僥倖っちゅうんでしょか、このアルバムを聴いてみても、「新人」っぽい逡巡やら迷走みたいなものは微塵も無く(そりゃ前年の 1987年にすでにデビュー・アルバムは出していたとは言え)、いきなり大ヴェテランみたいな音で「どっかぁ〜ん!」ですからねえ。さすが Neal Brothers Band( Kenny、Raful Jr.、Noel、Larry、そして Ronnie )で鍛えてきただけのことはあります。
ま、それには、この録音もまた、前年の Big on Bayou と同じ King Snake Studio( Sanford, Florida )で、これも前作同様に Bob Greenlee との共同プロデュースによって行われた、という部分が効いているのかもしれません。
あまり馴染みのないシカゴのスタジオで、いくら前作を聴いて気に入ってくれた、とはいえ、初めてのプロデューサーと、ってんじゃ、こんなイキのいい音は出せなかったかもしれませんからね。
てなワケで、このプロデュースにも Bruce Iglauer の息はかかっておりません。
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Fat Girls?
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さて、AL-4765 ですが、わたくし、このティンズレイ・エリスたらゆうの、まったく知りませんでした。
急遽 Alligator の JUKEBOX と iTunes のサンプルで聴いてみるってえと、ん〜なるほどねえ。これって Dion Payton の All Your Affection Is Gone あたりがもたらした「イノヴェーション」を快く思わない、1970年代までで思考がストップしちゃってるドタマの硬いブルースマニアにゃウケそうな音かな?
いえ、別にいいんですよ、現実にゃ、そこらへんで聴いてる、そして現実にカネ出してアルバム買ってくれそな「お客さん」ってイッパイいそうですから。
この Goergia Blue では、このジャケットにある赤いストラト使ってるんでしょうかねえ?ワタシと同じだあ(ってこっちはスーパー・チープな made in Mexico、19,800 at ESP お茶の水ってヤツなんですけどねん)。
後の作品じゃあ(ジャケットで見る限り)Marshall に 335 みたいなギターで飽和感たっぷりな音になってますが、まだこのアルバムではクリーンなトーンに空間系ちょっとかかってるかな?てな音で、そこらちょっとオモシロいかも。
で、別な意味で面白いのが、このアルバムでは Jody Williams の Lucky Lou を採り上げているんですよ。
は〜い、ご存知の方も多いでしょうねえ、あの Otis Rush が All Your Love としてパクったとかパクってないとか話題になったナンバーでございます(もちろん、双方の言い分はまったく食い違っておりますが、ワタシとしちゃあ、実際はどうあれ、少なくとも Jody Williams の方では「ゼッタイにパクられた」と信じているってとこが問題だ、と思っております。そこが氷解するまでは真の「解決」は無いんじゃないのかなあ)。
ま、なにを思って彼がこの曲を採り上げたのかは「?」ですが、残念ながらライナーでも他の曲については触れられているものの、この Lucky Lou についてはナシ、でございました。
続いては、ワタクシがここんとこ自分の iBook の iTunes に入れてて、しょっちゅう聴いてる Sea of Love(それは Live Ver.なんですが)の曲名が登場する Katie Webster の The Swamp Boogie Queen、AL-4766 でございます。
このひとの場合、むしろキーボーダーとしてのバッキングで有名なのかもしれませんが、ここでは果敢にも(?)Try A Little Tenderness なんてえ名曲をしっかりと歌っております。
ただ、個人的な感想としては、アルバム・タイトルの Queen ってあたりに見られる(おそらくは制作サイドの)思い入れが仇になって、「粗く」なり過ぎているような気がしてなりません。
Sea of Love だって、後のライヴで聴かれる、あのしっとりとした情感みたいなものが、ここでは上滑りして、ゲンキはいいけどちょっと沁みてこないんですよねー。
と、ここでヘンな方向にちと逸れちゃうかもしれませんが、
なんで女性ブルース・シンガーってみんな太ってるの?
太らないとブルースは歌えないの?
これ、ワタクシの長年のギモンでございます。
まあ、そんだけハクリョクある歌が歌える、てなコンキョなんでしょか。
とかくチカラいっぱいパワフルに歌うことを愛でるシュミの方は多いようですが、でもねえ、音量、あるいは気魄、そんなもので歌の価値って決まるんでしょか?
ボソボソと語るように歌うブルースだっていいと思うし、どだい生活ってそんなものでしょ?
いちんちじゅう、なにするのにも全力、気合いだっ!なんてのは一見スゴそうだけど、バカの裏返しかもしんないし。
確か Bruce Iglauer でしたよね、太ったおばちゃんが出てきて Sweet Home Chicago を歌う、そうゆうのがブルース、ってえイメージはうんざりだ、みたいなこと言ってたのは。
さいわい、ここでの Katie Webster は「もちろん」Sweet Home Chicago なんて歌ってませんけど。
その Katie Webster が残した、「ブルースでさえコピーしてるヤツら」に聞かせてやりたい、いい言葉があります。
Nobody taught me how to play jazz and blues and boogie woogie.
I learned that by listening and having the feel for myself.
I didn't pattern after anybody, 'cause I didn't want to sound like anybody else.
I wanted to develop my own sound.
Katie Webster、1999年 9月 5日、心臓の疾患により Texas 州 League City の自宅で死亡。
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